まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

わたしのたからもの

わたしの長財布は、いつもパンパン。
なぜなら、小銭入れの部分に「たからもの」が詰まってるから。
 
鏡文字で書かれた「いつもにこにこおてつだいけん」のヨレヨレの字、
白目だけで黒目がない不思議な顔。
これは息子が幼稚園の年長さんだったときにくれたもの。
「いつも○○ちゃん(妹のこと)にやさしくするけん」や
「いつもいいこにしますけん」もある。
娘がくれた「びょうきがよくなりますように」のお守りに、
中学卒業のとき息子がくれた手紙、
母の日のプレゼントに添えられていた小さなカード、
あとはプランタン銀座の写真屋で撮ってもらった、
プリンセスに変身した笑顔の娘の写真。
わたし以外の人にとってはただの紙くずでも、
わたしにとってはかけがえのないたからものの数々。
わたしがかあさんになってからのいとおしい日々が、
ぎゅっと詰まってる気がする。
 
時々なんだか悲しくてたまらない時には、
ひとり部屋で「たからもの」をながめる。
そうすると、なぜだか「がんばろうよ。」って気になるんだ。
不思議だね。