まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

いなかっていいところ?

結婚以来5つの町で暮らしてきたわたし。
今住んでいるのは「ザ・ニッポンのいなか!」という感じの某県。
まあ、ここの一般的イメージというと、
・純朴で人情深い人々
・豊かな自然とおいしい食べ物
・勤勉で我慢強く忍耐力のある人々
という感じになるんでしょうね。
 
でも・・・。
「よそ者」としてこの町に暮らしていると、
そういう先行していたプラスイメージがガラガラと・・・。
この町に越してきて一番ひどい目に遭ったのは子供たち。
特に小学校高学年だった娘は性格が歪むくらいひどい目に遭ったのです。
 
東京の小学校で数年間もまれた娘は、
自分の意見を臆することなくはっきり言える子でした。
(賛成なら賛成、反対なら反対と、
自分の考えをきちんと述べることができて、
クラス全体にいい影響を与えていると先生にも褒めていただいてました。)
それが、ここでは完全に裏目に出たのです。
ここではクラスでの(というより親世代の地域社会の中での)
序列が完全に決まっていて、
そのボスの言うことには一も二もなく従わなければ苛められる決まりだったのです。
正しいとか、正しくないとかは、全く関係なし。
学芸会の主役でも何でも、ボスの意のまま。
それが表面上は「公平」ということになってる多数決で決まるんだから、
本当に泣かせます。
先生も「お宅の娘さんみたいなタイプの女の子はここにはいないんです。
だから、転校してきたときから、
見えない線みたいなものを子供たちに引かれてしまったんですね。」ですと。
今までいないタイプだって、いいものはいいんじゃないのかい?
そういう「新しいいいもの」を受け入れられるように導いていくのが先生じゃないのかい?
しかし、先生からは熱意も何にも感じられず、
ただクラスの秩序が乱れることをおそれてばかりいるようにしか感じられなかったのです。
何かするたびに「女のくせに」「東京もんが」。
男子からも女子からも仲間外れされて、
明るく積極的だった娘はみるみるうちに陰気くさく消極的な様子に変わっていきました。
成績がいいのも、絵で賞をもらうのも、「いい気になってる」。
娘はとにかく「何もしたくない。目立ちたくない。外に出たくない。」と言うようになりました。
 
それから早丸三年。
娘は何とかここで頑張っています。
もう一人、こちらも大変な思いをした息子も進学校で頑張っています。
でも、もともとここの生まれだった夫を除いたわたしたち三人は、
行く先々で変わり者扱いされ、苛められたり、のけ者にされたり・・・。
 
いなかって、いいものかしら。
いなかって、ほんとうにいいものなのかしら。
「てぶくろをかいに」の最後で、
人間への不信感をもらさずにいられなかったかあさんぎつねのように、
わたしもつぶやかずにはいられないのです。
 
今日からはじめるこのブログ。
わたしの思索の向きは、
この「いなかというもの」にも向けられていきそうです。
 
コメント大歓迎です。
どうぞ、お手柔らかに願います(笑)