まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

難しい問題

このところ、立て続けにコメントを下さった方がいらっしゃいます。
当ブログ内で一番訪問者数が多い記事、
「『ペットロス』が一番激しいのは、鳥飼いらしい件」に関してです。
管理者のわたししか読めない形でお寄せくださったコメントなので、
その内容について詳しく述べるのは控えますが、その中に
とても重要かつ難しい問題が含まれていました。
今回はそれについて考えてみようと思います。

短期留学に行ったわたしの子供たちが帰国後話してくれたのは、
外国の人はペットを甘やかさない、ということでした。
息子がお世話になった家では犬と猫を飼っていましたが、
犬は家に入ってはいけない、猫はベッドルームに入ってはいけない、
という決まりになっていたそうです。
その決まりを破ると、ホストマザーが怖い声でペットの名前を呼びながら、
首輪やしっぽをつかんで有無を言わさずに犬や猫を放り投げていたそうで。
娘がお世話になった家でも犬を2匹飼っていましたが、
家に入ってはいけない、という決まりがやはりあり、
決まりを破った犬はホストペアレンツに怖い声で名前を呼ばれ、
鼻先を叩かれて罰せられていたそうです。

ここだけ聞くと「2軒とも動物虐待してる家だったのか?!」と
思ってしまいそうになりますが、決してそういう訳ではなく、
いけないことをした時には叱り、そうでない時には可愛がると言う、
メリハリがはっきりしている感じだった、とうちの子供たちが言っていました。

メリハリと言う観点で見れば、子供たちとの関係もやはりそうで、
いけないことをした時には厳しく叱り、普段は思いっきり可愛がる、という
付き合い方をしていた、とも言っていたのです。

最近、頓(とみ)に感じることなのですが、日本の社会のあちこちで
あらゆるものの関係のバランスが崩れて来ているように思えるのです。
親と子の関係や飼い主とペットの関係に限らず、本当にあちこちでです。
ゲームと遊ぶ人との関係もそうですし、スマホと使う人との関係も、
友達同士の関係も、恋人同士も夫婦も本当に何もかも。
その根底には、皆が抱えている「人間恐怖症」とでもいうべきものが
あるように思えてならないのです。
「悪く思われるのではないか」
「ネットで悪評を流されるのではないか」
「裏で悪口を言われてしまうのではないか」等々、
皆が傷つくことを極度に恐れるあまり、人間関係自体に
恐怖心を抱いてしまっている、そのことが全ての原因のように思えます。

ペットを(異常なのでは?と思うほど)溺愛する人が増えたのは、
人間同士が本来あるべき温かい関係を結べなくなってしまったことへの
裏返しのような気がするのです。
そういう目で見れば、実家で飼っていたオカメインコを溺愛していた頃のわたしは、
実の母と姉に虐待され、不運なことに性犯罪にも幾度も巻き込まれ、
人間に対しての不信と恐怖心とで一杯でした。

コメントを下さった匿名さん。
あなたが投げかけた問題についてわたしなりに考えてみましたが、
こんなところで限界です。
力が足りず申し訳ありません。