まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

支援と自立と

今から20年くらい前のこと。
新宿伊勢丹の前に「傷痍軍人」がいつもいた。
歩道の上にむしろを広げ、
「私は昭和〇〇年応召後××にて負傷し・・・」
みたいな文言の書かれた看板のようなものを立てて、
お金の入れ物を前に無言で座っていた。
その時点で戦争が終わって半世紀以上経っていた。
でも、彼はボロボロの軍服を着てゲートルを巻き、
伊勢丹の前にただ座っていたのだった。
通るたびに「気の毒だなあ」とは思った。
でも同時に「この人はこの半世紀以上、
どこで何をしていたのだろうか」とも思った。
傷痍軍人」という「肩書」を切り売りしながら、
ただ無為の時を過ごして来たのだろうかと。

仕事で、とある方々の支援に関わっている。
非常に気の毒な境遇にあった方々が相手だ。
わたしが働いているNPO以外にも様々な団体が支援を行っている。
単に「物やお金を渡す」だけでなく、
様々な分野の団体がそれぞれの得意分野でお手伝いをして来た。

その方々の支援に関わっている団体が集まるたび、
皆が困り顔で話すことがある。
「支援をすっかりあてにしてしまい、
自分の力で生活しようという気持ちが無くなってしまっている人が
少なからず見られるようになった」
何か困りごとがあると「〇〇が悪い」「××が悪い」「不親切だ」、
そして「もっと欲しい」「支援が足りない」。
さらにはそういう態度が下の世代にまで浸透してしまい、
何の問題意識も持たずに支援をあてにする若年層も現れている、と。

先にも書いた通り、その方々は本当に気の毒な境遇にあったのだ。
でも、「自分たちは可哀想なんだ、被害者なんだ。
だからいつまでも助けてもらう権利があるんだ」と自力で立つ努力を怠ってしまったなら、
伊勢丹の前にいた傷痍軍人と同じになってしまうんじゃないだろうか。
そうなるのが分かっているのに、乞われるがまま支援を続けることが、
果たしてその方々にとって良いことなんだろうか。

わたしは将棋で言えばただの「歩」でしかなく、
指示された通りに動くことしか出来ない立場なのだけれど、
「支援が毒になることもあるのではなかろうか」
と思いながら日々働いているのだ。