まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

誰も言えないこと

しばらく前から仕事先が替わりまして。
今はとある境遇にある方々を支援・・・のようなことをする部署で
働いております。

そこで働くようになってから痛感していること。

支援する側から言えば、
自立する力を奪うような支援が、本当に相手の為になっているのか?ということ。
支援される側のことを言えば、
支援されることに慣れ切ってしまい、「もっとしてくれて当然」「ずっとしてくれて当然」
というような気持ちになってしまっている親の姿勢が、
実は子供たちにとても悪い影響を与えているのではないか?ということ。

実は支援する側の中にも同じことを感じている人が沢山いるのです。
でも、誰も何も言えないのが現実で。

支援される側の方たちの意に沿わないことを言えば、
下手をすると大勢の前で痛罵されます。
そして、その方たちのクチコミネットワークに乗って悪い噂があっと言う間に広まり、
支援者としての信頼を失くしてしまうのです。

一方の支援する側の人たちの中には、
「支援ビジネス」で食べている人達が少なからずおりまして。
その人たちにとって支援される人たちは「飯のタネ」。
皆が自立して支援を必要としなくなってしまえば、助成金がもらえなくなり、
商売上がったりになるのです。
「まだまだ大変なんだから・・・」「無理しなくていいから・・・」
そういう優しい言葉を口にしながら、
相手を支援漬けにし続けるのです。
そして、なぜなんでしょうね、
そういう人たちが、支援する側のヒエラルキーの頂点に位置してたりするのですよ。
うっかり本音を漏らしてしまったりしたらもう大変、
支援する側の人たちの中で孤立させられてしまうのです。

「こんなこと、続けている意味があるんだろうか?」
そんな風に思っていても、それを公の場所で口にすることは出来ません。
「ねえ、栗ちゃん、ここだけの話なんだけど・・・」
そんな風に、こそっと誰かがこぼすだけ。
あの人も、あの人も、あの人も、何かの折にこそっと。

「このままじゃいけない」と言えるのは誰なんでしょうか。