まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

冷静でいなくちゃならないな。

8月29日の朝。
今まで聞いたことのない警告音が枕元で鳴り響き、飛び起きました。
北朝鮮がミサイルを東北地方に向けて発射」の文字に、
隣の部屋で寝ている娘を起こして窓から離れるよう促しました。
「そんな・・・こんな田舎に勿体ないからミサイルなんか
撃たないよ・・・死ぬ人ちょっとしかいないもん・・・」
娘は朝早く起こされたことに腹を立て、
そのまま布団で丸くなってしまいました。
「そうは言っても、うっかりちょっと標的を間違えちゃったとか、
上空でものすごい風が吹いててそれちゃったとか、
そういうことだってあるかもしれない」
NHKをつけると不気味な口調が「ミサイル発射」と繰り返しており、
それを聞いているうちに恐怖で心臓がバクバク言い始めました。
やがて「上空を通過、不審物に警戒」的な内容に変わったものの、
もう寝ることは出来ず、寝不足のまま一日がスタートしたのです。

翌日出勤すると、上司の夫君(小学校の先生)は
朝早くから招集を掛けられて大変だったとのこと。
さらには「児童を自宅待機させた」とのことだったため、
わたしは驚いてしまいました。
6時ちょっと過ぎに宇宙ステーションより高いところを通過したのに、
8時半始業の小学校で児童を自宅待機させて、
一体何の意味があるのか分からなかったからです。

あれから数日経った今も、
日本中に「かつてない非常事態」の文言が溢れ返っています。
・・・えっ、そうなの、本当に?と、
へそ曲がりのわたしは感じています。
事前通告して発射したことだって、
通告なしに発射したことだって過去にあったし、
そのたびに日本の上空を通過してミサイルが海に落ちたじゃない。
今回だけが非常事態な訳じゃないんじゃないかな。
それなのに「かつてない非常事態」とあおっているのには、
何か別の理由があるんじゃないのかな。

わたしは、今こそ冷静でいなければならないな、と痛感しています。
日中戦争、太平洋戦争に日本が突入して行く前、
マスコミが「開戦やむなし」の論調で世論を誘導した状況と
酷似しているように思えるからです。
「敵に備えなければ」「再軍備しなければ」「憲法改正しなければ」
みんながそう思わされて行くように思えるからです。

ミサイルは発射されてからたった8分で日本の上空を通過しました。
飛んで行くまでに時間がかかるアメリカなら、
ミサイルの軌道を計算して迎撃するのが間に合うのかも知れない。
でも、日本はこんな場所にあるのです。
どんなにお金をつぎ込んですごい武器を買ったところで、
飛んで来るミサイルを止めることは出来ないのではないでしょうか。
ただ、そのことによって利益を得るもの(国)を富ませることと、
日本が「平和国家」という名前だけでなく、
戦後世界中で先達が苦心して築き上げた信頼までも
失ってしまうこと以外の効果はないのではないか?
そんな風に思えるのです。
第一、「やられたらやり返す」
または「やられる前に敵をたたく」方式が今の世界を
どういう方向に進ませているかを見たら、
少なくとも何が愚策かは分かるのではないでしょうか。

今こそ冷静でいなければ。
誘導されて流されて行くことのないように、
自分自身の頭できちんと考え続けなければ。
必要以上に怖がって
恐怖心に付け込まれることのないようにしなければ。
そう思うとともに、日本の未来に対して
「一抹のぼんやりとした不安」を覚えずにいられないのです。

国のトップにはまだ打つ手が残っているはずです
(直接対話、という手が少なくとも残っています)。
打てる手は全て打つべきです。
いや、打たなければなりません。
今、国のトップにいる人は20年後の日本を見ることはないでしょうが、
30年後、50年後、いや、100年後も
日本が幸せな国でいられるようにする責任を
現時点で負っているのですから。
国の未来を未来なき老人たちが決める、
そういう今のあり方自体がグロテスクだとも思いますけどね。