まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

「通過儀礼」

我が家のお子たちが2年ずつお世話になった幼稚園、
わたしがお手伝いしに行くことが決まったと知ったお子たちは、
奇しくも2人とも同じ質問をして来ました。
「ねえ、あそこの窓に今でもみんな登ってるのかな?」

「あそこ」とは、幼稚園の中の広いスペースのこと。
敷地の関係でちょっと不思議な形をしているその場所の角が、
床から高い高い天井のところまで窓になっているのですが、
その窓枠がまるではしごのように連なっておりまして。
うちのお子たちがお世話になっていた頃、その窓は
いつ見てもよじ登っている子供の姿が絶えませんでした。
年少さんの頃は、ごく低いところだけ。
それが、年長さんも卒園間近の頃になると、もうめまいがするほどの
高さまで登るように。
親としては「落ちたら死ぬのでは…」と内心冷や汗ダラダラだったのですが、
不思議と「落ちた」とか「けがをした」とか言う話はありませんでした。
年長さんの男の子たちは、「オレは上から〇番目の窓まで行けた」と
高さを競い合い、小さな子たちはそんな年長さんたちを
羨望の眼差しで見つめていたものです。

高知県だったでしょうか、川にかかる高い橋から、
子どもたちが川に飛び込む「通過儀礼」がある場所についての
テレビ番組を何度か見たことがあります。
小学校の低学年のうちは低い場所からの飛び込みでいいけれど、
6年生になったら一番高いところから飛び降りなければならない。
それが出来ないと、「一人前」として認めてもらえないというので、
ちょっと臆病な子も必死で気持ちを奮い立たせて川に飛び込むのです。
それが、小学校最後の夏休みに、小学校6年生男子に課せられた
使命みたいになっているのでした。
その使命を果たすと、男の子たちは「子供」から一歩
「大人」への階段を上った感じになるのです。
うちのお子たちが通っていた頃の幼稚園も全く同じでした。
窓の高い高いところまで登れるようになった年長さんたちは、
何だかひと皮剥けた感じになったものです。
年少さんや年中さんたちに対して、余裕がある態度で
接することが出来るようになる、と言ったらいいか。
「自分たちはいつまでも泣いていてばかりではいけない」
そんな気持ちが芽生えたかのようでした。

上を目指して真剣な目をして窓に挑み続ける子たちの足元で、
重い障害のある子が這いながら鬼ごっこに加わり、
小さな室内用自転車に乗って爆走する子たちがいて、
カタパルト付きの紙飛行機を天井に向けて発射している一団がいて、
ピアノの陰では大人しい女の子たちが秘密のおしゃべりをしている…。
あの頃は、そんな幼稚園だったのです。

「あの窓、今も子供たちは登っていますか?」
そう園長先生に伺ったら、
「ああ…今は登るの、禁止です」という返事でした。
…それはそうですよね。