まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

M子おばちゃん、ありがとうございました

大学病院の緩和ケア病棟に入院して2か月半。
「M子おばちゃん、どうなったかなあ」と思っていましたが・・・。
先日従妹のNちゃんから、小さな包みが届きました。
包みに付けられたハガキには、
おばちゃんが4月下旬に旅立った、とありました。

最期のときまで、おばちゃんはNちゃんの幸せを願っていたそうです。
「包み込むような愛情で見守ってくれた母こそが
永遠に幸せでありますよう、いつの日も願い続けます」
ハガキにはそう綴られていました。

3月31日に子供たちとお見舞いに行ったとき、
おばちゃんは「(病気のことを)本当は誰にも教えないつもりだった」
と言っていました。
病気の性質もあってやつれ方が本当に激しかったため、
自分の姿を本当は見せたくなかったのかも知れないと思い、
以後はお見舞いに伺ったり病状をNちゃんに聞いたりすることは
控えていたのです。
緩和ケア病棟で過ごす日数は平均して1か月ほどだと聞いていましたから、
もしかしてもう亡くなっているのではないかと
思ってはいたのですが・・・。

包みが届いた日、すぐ姉からメールがありました。
「あなただけお葬式にも行ったんでしょう?」
責めるようなメールの文言を見ているうち、
どうしてこんなに時間が経ってから知らせがあったのか、
理由が分かったような気がしました。
おばちゃんはわたしと姉との確執について全て知っていました。
子供の頃からわたしが6歳違いの姉に虐待されていたこと、
父が亡くなるまでの半年間、姉が父にひどい仕打ちをしたことも。
3月にお見舞いに行ったとき、おばちゃんは
「若い時には許せなかったことでも、
年を取るにつれ、許せるようになることもある。
今すぐには無理だとしても・・・」と言っていました。
おばちゃんは自分のお葬式でわたしが姉に会わずに
済むようにしてくれたのだと思います。
自分がどんなに病気で苦しもうとも、
他人のことを思いやり、先のことまで考えてくれる、
M子おばちゃんはそういうひとでした。

おばちゃん、本当にいろいろとお世話になりました。
「ありがとう」しか、お礼の言葉を知らない自分が
悲しくなるくらい、深く深く感謝しております。
おばちゃんみたいな素敵な人になれるよう、
これから先の人生を頑張って生きて行こうと思っております。
これからはおじちゃんと天国で楽しくお過ごしください。
そして、たまには様子を見に来てくださいね。