まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

かよちゃんのこと

「星をまく人」( http://blogs.yahoo.co.jp/joy_spring2010/12001584.htmlを参照のこと)
に出て来た「星のおじさん」のことを考えていたら・・・。
「かよちゃん」のことを思い出した。
 
かよちゃん・・・。
今は施設に入ってるはずだけど、元気にしているんだろうか・・・。
 
わたしがまだ小さかった頃、母方の祖父(「悪い魔女」のダンナさん)は別荘を持っていた。
「山の家」と呼ばれていたその別荘には、
子供が大縄跳びして遊べるくらい広い玄関(そこに黒い碁石みたいなつややかな石が
規則正しく敷かれていたこともはっきり覚えている)と、
一度に大人が20人くらい食事出来るような巨大な津軽塗の座卓が置かれた大広間、
よじ登って遊ぶのにぴったりの庭石がボコボコ置かれた広い庭と、
「どこまで走っても終わりがない」と子供が感じるくらい広い畑とがあった。
 
大人たちは酒を飲みながら祖父の自慢話に付き合うのに忙しく、
わたしたち子供は美味しくない食事(祖父の経営してた旅館から仕出ししてもらったもの。
子供にもあん肝とか塩辛とか大人と同じものしか出て来なかった)を急いで食べたら、
あとは余計な口をきいたりせず、大広間にいる間は沈黙を守らなければならなかった。
でも、わたしは「山の家」に行くのが楽しみでならなかった。
なぜなら、そこにはかよちゃんがいたから。
 
かよちゃんは祖父の山の家にいて、お酒に燗をつけたりお茶を出したりしていた。
でも、仕事が一段落すると、わたしたち子供と遊んでくれた。
いや、遊んで「くれた」という表現は違うように思う。
かよちゃんは大人だったけれど、わたしたち子供の仲間だった。
いつも突拍子もない面白い遊びを思いついて、
わたしたち子供の先頭に立って遊び、一緒に楽しんだ。
 
祖父母の寝室に忍び込んで遊んだときのことが忘れられない。
そこは広々とした洋室で、大きなベッドが二つ置いてあった。
洒落た飾り棚に祖父のスペアの入れ歯が置いてあって、
かよちゃんはそれを獅子舞の獅子の口よろしく、
「お獅子パクパク」と言いながらパックンパックンと噛み合わせて見せた。
わたしたちはあまりの面白さに涙を流して大笑いした。
そのあと、かよちゃんが「この部屋から出ちゃいけないってことにして、
かくれんぼしよう!」と言ったのでわたしたちはますます大興奮した。
(普段、祖父母の寝室には「入っちゃいけません」と言われていた気がする)
じゃんけんで負けた従兄が鬼に決まって、
わたしたちは嵐のように大騒ぎしながらそれぞれの場所に隠れた。
そして、従兄の「もういいかい?」にわたしたちが「もういいよ!」と大声で答えた、
まさにそのときだった。
入口のドアが恐ろしい勢いで開き、
「あなたたち、ここで一体何をやっているの?!」と叫びながら祖母(悪い魔女)が入ってきた。
(ああ、見つかってしまった、叱られる)とわたしたちはしょんぼりと隠れ場所から出た。
祖母はわたしたちを見回して、
「あら、かよちゃんはどうしたの?どこに行ったの?」と厳しい声で尋ねた。
すると、祖母の後ろにあった押し入れの戸が開き、そこからかよちゃんが飛び下りた。
かよちゃんはとても太っていたから、床に飛び下りると「ドカーン!」とすごい音がした。
それを見た祖母の怒りようと言ったら!
「いい歳をしてみっともない!恥ずかしいと思わないの、あんたは!
仕事もしないでこんなところで小さな子供と遊んでるなんて!
押し入れに隠れて一体何をやってたわけ!」
物凄い剣幕で怒鳴られて、かよちゃんの身体からみるみるうちに元気がなくなり、
太った身体が「プシュー」と音を立ててしぼんで行くようだった。
 
その日、仙台へ帰る電車の中で、わたしはずっと気になっていたことを母に尋ねた。
「ねえ、かよちゃんってお手伝いさんなの?」
すると、母はわたしを恐ろしい目つきでにらみつけ、
「なんてこと言うの、あんたは!」と言った。
そして、そのあとひと言も口をきかず、沈黙したまま仙台へ帰った。
家へ着いて2階の子供部屋へ行ったあと、姉が言った。
「あんたって、ホント、馬鹿ね。
かよちゃんのこと、あんな風に言ったらお母さんが怒るの、当たり前じゃない。」
「何がいけないの?だって、かよちゃんって、いつもお掃除したり、お酒運んだり働いてて、
ガミガミおばあちゃんに叱られてばっかしじゃない。
だから、わたし、本で読んだお手伝いさんなんだなって思ったからそう言っただけだよ!」
姉はわたしを馬鹿を見るような目で見ながら、驚愕のひとことを発した。
「かよちゃんはね、お母さんの一番下の妹なの!」
 
かよちゃんは、その後もいつ見ても祖母に叱られていた。
でも、暑い日には「みんなアイス食べたいよね?」と言いながらアイスを買ってくれたり、
お酒を運んだりお膳を下げたり忙しく働きながらも、
目が合うとかよちゃんにしか出来ない独特の笑い方で笑いかけてくれたりした。
祖父母の家にいる大人は、誰もが子供に無関心だったから、
たとえ以前みたいに遊んでもらえなくなってもかよちゃんのことが大好きだった。
 
かよちゃんを見なくなったのはいつからだっただろう。
祖父の建築会社が倒産し、「山の家」は他人のものになった。
わたしたちはいつも祖父の旅館に義務のように集まって食事をしたが、
もうそこにかよちゃんの姿はなかった。
「かよちゃんはね、よその家に住み込みのお手伝いさんしに行ってるの」
そう母から聞かされた。
でも、かよちゃんのことをその後何度か旅館で見かけた。
板場の脇にある、3畳ほどの小さな和室に窮屈そうに座ってご飯を食べていた。
「あっ、かよちゃん、来てたんだ!」
そう声をかけても、かよちゃんは疲れたようなどんよりとした目でわたしたちを見て
「ああ、いらっしゃい」と小さな声で答えるだけで、
まるで、別人になってしまったかのようだった。
 
ここから先はわたしが大人になってから聞いた話。
「悪い魔女」は太ってみっともない(と魔女は思っていた)かよちゃんのことが嫌いで、
実家である旅館でかよちゃんが働くことを拒んだ。
(「あんなのが人目に付いたら恥ずかしい」と言ってたそうだ)
お嫁に行こうにももらい手がなかったかよちゃんは、
仕方なく住み込みのお手伝いさんとして働き、魔女の目に付かないところへ行くことにしたのだった。
多分ストレスからだろう、かよちゃんはどうしても過食してしまうのが止められず、
糖尿病になり、高血圧になり、痛風になった。
でも、働き続けるしかなかった。
やがて、かよちゃんは心の病気になってしまった。
それでも、実家へ戻ることを拒否された。
 
かあさんのお葬式のとき、久しぶりにかよちゃんに会った。
かよちゃんは昔よりは少ししぼんだ身体を窮屈な喪服に押し込み、
足を引きずるようにして歩いていた。
かよちゃんを連れて来たおばさんたち(かあさんの二人の妹)が、
姉とわたしに向かって盛んにお悔やみを言う間、
縮こまるようにして黙っておばさんたちの後ろに立っていた。
そして、立ち去り際に小さな声でこう言った。
「・・・元気を出してね・・・」
 
かよちゃん、本当はかよちゃんって名前じゃなかったんだってね。
本当のお母さんは「○○子」って名前を付けてくれたんだよね。
でも、悪い魔女が「画数が良くない」とかなんとか言って、
占いの人がいいって言った名前に無理やり変えてしまったんだってね。
名前だけじゃなく、人生までねじ曲げられちゃって。
でも、わたしはかよちゃんのことを決して忘れないよ。
かよちゃんが遊んでくれてどんなに楽しかったか、
かよちゃんがどんな風に笑うひとだったかを。