まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

我が家の「不便益」


今日のネットニュースに
「電話の取次ぎが苦痛で
新入社員が会社を辞める」という話が載っていた。
曰く「どこの誰からかかってきたか分からない電話に
出るのが怖い」のだそう。

わたしが仕事をするようになってから、
留守に家にかかってきた電話をお子たちが受けたことが幾度かあった。
そのたびにうちのお子たちの電話の対応の仕方が
「最近の子らしくなくしっかりしててびっくりした!
何か特別な訓練でもしてるの?」
と聞かれてこちらが驚くことになった。

今日のネットニュースを読んで「なるほど!」と思った。

うちの「イエデン(=固定電話)」には子機がない。
だって狭い社宅だから子機なんかなくったって、
家のどこからでも数回コールする間に出られるもの。
そしてナンバーディスプレイにも入ってないから、
誰から来た電話かは出るまで分からない。
「はい、栗さんちです」と電話に出、
相手の名前や用件をメモし、
保留にして家族に取り次ぐ。
そして電話が台所に置いてあるものだから、
お子たちはやり取りの一部始終を
台所にいる家族全員に聞かれることになる。
わたしも夫も叱ったりはしなかったけれど、
「この次はこう言った方がいいと思うよ」
みたいなアドバイスはよくしていた。

うちのお子たちはそういう生活を
進学のためそれぞれ家を出るまでの18年間送っていたのだ。
だから、特に何かしなくても電話での対応が
一通り身に着いていた、というわけ。

昔って、結構そういうことが多かった気がする。
特に何かしなくても生活の中で自然に身に着くこと、
例えば挨拶やら食事のマナーやら、
掃除の仕方やら、いろいろなことが。

先日の「あさイチ」で「不便益」という言葉を知った。
「一見不便なことがかえって利益をもたらす」ということらしい。
例えばほうきとちりとりと雑巾で掃除をすると、
それだけで消費カロリーが増え、ダイエットにつながるとか、
そういう類のことをどこかの大学の先生が
「不便益」と名付けて研究しておられるのだそうだ。
つまりは、「ちょっと大変かもしれないけれど、
ひと手間かけるといいことあるよ」ってことなのだろう。
「ひと手間かける」、まさしくちょっと昔の暮らしのあり方がそうだった。
電話だって、挨拶したり用件をメモしたり復唱して確認したり、
保留にして家族に伝えたり・・・と、今より「ひと手間」かかっていたのだ。

うちのお子たちは文句を言ったりしなかったけれど、
昨今は子供に電話の取次ぎをさせたりしないのが一般的らしいから、
内心「面倒だなあ」などと思ってたりしたのかもしれない。
でも、そのお陰で「不便益」があった訳なんだから。

古い「イエデン」様様・・・というところですね
自治体の職員になった息子も、
電話で困ることだけはないそう。