まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

21歳にして前科5犯・・・。

息子が小学校1年生から3年生だった頃、
社宅に同い年のHくんが住んでいた。

息子が具合を悪くして学校をお休みした日。
連絡帳をHくんに頼まなくてはならなかった。
アパートの隣の入口から入って呼び鈴を鳴らすと、
パジャマ姿のHくんが出てきた。
「あれ・・・お母さんは?お忙しいのかな?」
「ううん、ママはまだ寝てる」
「えっ、そろそろ集団登校の集合時間だから急がないと大変だよ」
「うん・・・でも、朝ごはん何も食べてない」

Hくんは有名人だった。
火災報知器をいたずらしたり、防火扉を作動させたり。
宿題はしてこないし、提出物も出さない。
Hくんの妹は反対に優等生として有名だった。
両親は妹だけを溺愛し、Hくんには辛く当たっているようだった。
時々、Hくんのママがヒステリックに怒鳴っている声が、
アパートの中庭に響き渡ったし、
家から追い出されたHくんが鼻歌を歌いながら、
中庭のブランコをひとり漕いでいることもあった。
(その頃は、まだ「児童虐待」が今のようにクローズアップされておらず、
児童相談所へ通報する、などと考えもしなかったのだ)

でも、Hくんは何の屈託もなさそうに見えた。
参観日、学校へ行ったら、遥か彼方から
「○○くんのおかあさーん!」という叫び声が聞こえて来たかと思うと、
Hくんがすごい勢いで駆けて来て、わたしにひしっと抱き付いたこともあった。
抱き付いたまま離れなくなったHくんにちょっと驚いたけれど、
「あれっ、Hくん、どうしたの?
甘えんぼさんになったのかな?」とおどけて見せたら、
Hくんはわたしの腰に腕を巻きつけたまま、顔を上げてニッと笑ったのだった。

あれから12年あまり。
Hくんのその後を風のうわさに聞いた。

つい先日中等少年院を出たばかりだったHくんは、
傷害事件を起こして逮捕されたそうだ。
21歳にして前科5犯。
誰が聞いたって札付きのワル、としか思わないだろう。

一つだけはっきりと言えること。
Hくんは生まれながらのワルじゃなかった。
周りの大人が寄ってたかって「出来そこない」のレッテルを貼り、
いじめたり貶したり傷つけたりして、Hくんを破壊して行ったのだと思う。
確かに扱いにくい子ではあったのだろうけれど・・・。
あの時、小学校の廊下でわたしを見上げてニッと笑った屈託のない笑顔を思って、
わたしは何だかやるせない気持ちになったのだった。