まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

たったこれだけのことで、気持ちにひと区切りが・・・。

10日ほど前のことですが、
夫と一緒に仙台の実家跡を見に行って来ました。

おととしの夏、盆の墓参りに行った際、
息子と一緒に見に行ったきり、
わたしは実家跡に行くことが出来なかったのです。

実家跡には姉が建てたアパートが建っているはずですが、
それをわたしはついこの間まで
「一生見に行かない」と思っていました。

母が突然死した直後、
「名義書き換えしましょう」と義兄が通帳等全て持って行きました
(これについては、父自身面倒な手続きをしてもらって助かったと言ってましたが)。
父が亡くなったあと、
「あのまま家を建てておくと固定資産税が・・・
取り壊しに掛かる費用がざっと・・・」
など、亡くなってまだ1週間も経っていない時に、
入院先だった病院へ支払いに向かう車の中で
義兄から話を切り出されてわたしは、
「ああ、この人たちは父が亡くなるずっと前から
夫婦でこういう話ばかりしていたのだな。
ICUへ見舞いにも来なかったと言うのに、
そういう算段だけしていたのだな」と、
非常に胸糞の悪くなるような思いをしたのです。

結局、家の財産関係の書類等は義兄が持って行ったままで、
わたしは実家に一体どれくらいの財産があったのか全く知らないまま、
遺留分も含めて全ての遺産相続の権利を放棄することになりました。
その後、姉夫婦は父の1周忌を待たずに実家を解体、
不動産屋さんに仲介を頼んでアパートを建てたのです。
それを見に行くということは、
姉夫婦に屈することのような気がして、
わたしは一生見に行かない!と思っていたのですが・・・。

姉たちとのゴタゴタ、そして父の最後の日々を巡ってのモヤモヤに、
ENDマークを出したい気持ちになったのです。
そのために、アパートを見に行こう、という気持ちになりました。
今までのわたしなら、平日に独りで見に行くところだったでしょうが、
なぜか夫に同行を頼む気に。
たまたま週末が空いていた夫は快諾してくれました。

仙台駅からゆっくり歩いて10分足らず。
実家跡には小洒落たアパートが建っていました。
ただ、それだけ。
見ても別にショックでも何でもなく、
「ふーん、こんなことなら、もっと早く見に来りゃ良かったな」
と思いました。

そのあと、「勝山館」へ移動、
イタリア料理店でいささか遅い銀婚式のお祝いのランチを頂きました。
夫と結婚して25年で一番贅沢なランチ。
薪能も開かれるらしい素敵な中庭を見ながら、
美味しい美味しいお料理に舌鼓を打ちました。

ざっくり言えば、
夫と二人でアパートを見て、ランチを食べただけ。
でも、たったこれだけのことで、
気持ちに大きなひと区切りが付いたように思います。
不思議ですね。