まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

20年前の思い出~青く広い空、そしてママチャリ~

面白そうなので、Yahoo!JAPAN 20周年企画に乗っかってみることにします。

1996年、わたしは山形県南部の小さな町に住んでいました。
前の年の春に、初めて母となるのと同時に夫が初めての転勤となったのです。
生まれたばかりの小さな息子を抱いて、仙台の実家から車で3時間近くかけ、
その町へと向かいました。
初めの1年のことは・・・思い出したくない苦い思い出です。
アパートで息子とほぼ二人暮らし状態だったわたしは、初めての田舎暮らしでノイローゼ気味になり、
危うく乳児虐待に走るところでした。
「ところでした」と過去形で、何の屈託もなく書ける現在がある幸運に感謝しなければなりませんね。

さて、その町に住んで1年が経ち、息子が1歳を迎えていた1996年。
黒いママチャリに黄色の子供乗せを付けてもらい、初めて息子を乗せたあの春の日のことを、
わたしは死ぬまで忘れないでしょう。
ペダルを漕いで走り出した途端、息子はそれまで聞いたこともない調子で
「ほわ~っ!」と叫んだのです。
視点が高くなったのが嬉しかったのか、はたまたスピードがたまらなかったのか。
以来、天気の許す限りわたしは息子と自転車で「町探検」するのが日課となりました。

「探検」とは言っても、さして見るものもない田舎町のこと。
1時間半に一本、1両または2両で走ってくるディーゼル車を踏切で見送ったあと、
必死で自転車を飛ばして駅の向こうの踏切で先回りしたり、
消防署で消防車や救急車を見たり。
薬屋さんを回って店先の子ゾウのディスプレー(サトちゃんとサトコちゃん)を見たり、
八百屋さんの店先のビニールプールで泳いでいるアヒルを見たり。
田んぼの中の道を走れば、無数のイナゴがサワサワと音を立てて左右に逃げて行きます。
それはまるで、映画の「十戒」の海が割れるシーンのようでした。
歌を歌いながら走っていても、すれ違う人もなく恥ずかしい思いもせずに済み、
ふと見上げれば、青く広い空がどこまでもどこまでも広がっていて・・・。
そんな毎日が積み重なるうちに、
あんなに嫌だった小さな町での暮らしが、楽しいものに感じられるようになって行ったのです。

あれからもう20年が経過したのですね。
確かに・・・1歳だった息子は21歳、もう大学4年生になりました。
その後生まれた娘ももう高校3年生。
わたしの母としての仕事ももうすぐ終わりを迎えようとしています。
何だか寂しいような、残念なような。
母として過ごした日々を思い返す時、いつも1996年の青く広い空が思い浮かびます。
その下を、息子と歓声を上げ、歌いながらペダルを漕いでいた若かりしわたし。
思えば、あの年が、わたしにとっての「母親元年」だったのです。