まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

ビル・エヴァンスのドキュメンタリー映画「Time Remembered」を見た

先日、ビル・エヴァンスドキュメンタリー映画を見て来ました。

思わず憤慨してしまうほど、音楽の使い方があんまりな作品でした。
曲を適当にぶった切る!
適当に編集してくっ付ける!
中には、「あと1音でおしまいなのに…」というところで
無残に切られた曲までありました。

映像を作る人たちの音に対する感度の低さ、
センスの無さにがっかりさせられることが意外と多くて…。
ジャズピアニストの生涯を追った作品なのに、
音楽の扱い方が雑だなんてあんまりです…(泣)

しかしながら、監督のエヴァンスに対する愛情が
しっかりと伝わって来る作品ではありました。
あれだけの資料を集め、インタビューをし、
それを何とか編集して作品として仕上げた、その
途方もない労力と費やしたであろう長大な時間、
それを考えたら頭が下がる思いになりました。

それにしても、エヴァンスに近しかった人たちの、
歳を取った後の不幸せそうな様子と言ったら…。
かの有名過ぎる姪っ子のデビーも、
最期を看取った若き愛人ローリーも、
幼かった頃や若かりし頃の生き生きとした面影は無く、
「このひとが…?」という感じの女性になっていました。
まあ、デビーは、エヴァンスの兄であった父親を自死により失い
(しかも死の少し前には「統合失調症」と診断されていたそう)、
ローリーはわずか22歳にしてエヴァンスの最期を看取った訳ですから…。
そして、今作ではっきりわかったことは
エヴァンス自身が機能不全家族の中で辛い育ち方をした人だったこと。
父親は酒乱で、母親に暴力を振るっていたそうなのです。
また、母親がロシア人だったことは、(そういう話は出て来ませんでしたが)
冷戦時代のアメリカでは差別につながることだったかも知れません。
そんな両親の許、エヴァンスは、二つ年上の兄ハリーだけを
心許せる相手として成長して行ったのです。
陽気で人当たりが良かったものの、音楽の才能は弟に遥か及ばず背が低かった兄と、
内向的でシャイだったものの、ずば抜けた音楽の才能と丈高くハンサムな外見に恵まれた弟。
同じ両親から生まれたのに、何もかも正反対だった二人。
でも、兄は最後まで弟を愛し続け、弟は兄を尊敬し続けたのです。
…兄の自殺と言う悲劇的結末で関係が強制的に断ち切られるまで、ずっと。
仲間の事故死、内縁の妻の自殺を何とか乗り越えたかに見えたエヴァンスは、
ハリーの死後、生きる気力も何もかも全て無くしてしまったのだと思います。

ビル・エヴァンスと言う人は、この作品の中でも複数の人が証言していたように、
ひどいジャンキーで(お金をせびられるからビルに会いたくなかった、という
話は結構ショッキングでした。バド・パウエルの逸話とそっくりだったので)、
自己中心的で(機能不全家族で育った人は、自分の身を守るためしばしば
極端なエゴイストになりがち)、
内向的な人ではあったのですが、子供が大好き、動物が大好き、という
意外な一面がありました。
この作品では、姪のデビーがビルに遊んでもらった思い出を沢山語っていましたし、
映像で紹介された、息子のエヴァンを自転車に乗せてはしゃぐビルの姿も、
本当に印象的で…。

また、数々のアルバム写真の中で、にこりともせずこちらを見ている
(または見ていない)エヴァンスとは全く違う、
弾けるような笑顔の写真が何枚も紹介されたのが救いでした。
エヴァンスにも楽しいときはあったのです。
特に、まだ若かった頃、何の屈託もなさそうに大笑いしていた写真。
彼の「Young and foolish」だった頃の写真が見られて、
40年近くファンである私は非常に幸せな気持ちになりました。

私がエヴァンスをめぐるエピソードの中で一番好きなのは、
麻薬でボロボロになった歯を治してもらいつつ泊めてもらっていた、
イギリスの歯医者さんの家の子供たちとのエピソードで。
(今作では紹介されていないものです)。
幼かった子供たちは、彼が有名なジャズピアニストかどうかなど全く関係なく、
「大好きなビルおじさん」として大人になるまで記憶していたそうです。
エヴァンスは、彼のお気に入りだったクッキーの、
彼のお眼鏡に叶うひと缶を探し出すための虚実とりまぜた大冒険譚を
子供たちに面白おかしく聞かせていたとのこと。
…子供と本気で遊べるひとって、案外孤独なひとだったりするものなんですよね。

今作品の最後の方で、1980年9月9日にテレビ番組で
演奏したときの動画が流れます。
亡くなるわずか6日前。
やせ細ったエヴァンスはひょろひょろと歩いてピアノに座りますが、
紡ぎ出した音色は本当に力強かったのです。
曲はエヴァンスオリジナルの「Your story」。
エヴァンスはピアノとしか話せない人でした。
言葉は確かに話していたけれど、彼の本心は誰にも伝わらなかったのです。
彼が本心を明かせたのは、人間ではハリーだけ、
そして、ハリー以外にはピアノだけだった…。
だから、星の数ほどの「エヴァンスもどき」のピアニストは出て来ても、
誰一人としてエヴァンスのようには演奏出来ないのだと思います。
どんなに必死でピアノを練習しても、上手に弾けるようになるだけで、
ピアノと会話できるようにはなれないものですから。

私が長年どうしても知りたかったことが、
この映画を見てようやく分かりました。
エヴァンスの目は、灰色をしていました。

RIP(Rest in peace),Bill Evans.
We'll keep loving your music forever and ever more.

※かなりのファンでないとつまらない映画かも知れません。
 誰にでもオススメは出来ない作品だと思いました。
 しかし、ジャズが好き、特に50年代から60年代のジャズが大好き!という
 方は、驚くような人たちの肉声が聞けますので、是非ご覧くださいね。