まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

「死に場所を求めて」って・・・。

朝イチで息子からメールが来た。
北大大学院生が「イスラム国」の戦闘員になろうとしてたのが事前にバレた、
という事件について。
その後病院の待合室でたまたま目にしたテレビでは、
イスラム国」とは別のイスラム教過激派組織に実際参加していた、
という若い日本の男性のインタビューが流れていた。
自分の存在意義が分からなかった、
だから「死」と隣り合わせみたいな苛酷な状況に自分を置いてみたら、
それが分かるかもしれないと思って参加したのだ、
そうその男性は淡々とカメラに向かって語った。
全部見た訳ではなかったけれど、
ちょっと見ただけで、理路整然とした話しぶりと言い、
多分高等教育を受けた人物であろうことは分かった。
 
「世も末だよな」
そう息子はメールして来た。
わたしはそうは思わない。
新卒で正社員になれなければ「負け組」のレッテルを貼る世の中。
苦労して大学を出ても、その専門知識を生かす職業になかなか就けない世の中。
少しぐらい回り道したって本当は構わないはずだし、
回り道したからこそ見える景色だってあるはずなんだけど、
それを世の中が許さない。
だからこそ、真面目なエリートほど追い詰められてしまうんだろう。
悩めるエリートは、昔はオウム真理教に入って人殺しの道具になり、
今はイスラム過激組織に入って人殺しの道具になるのだろうか。
勉強以外の世界を知る余裕もなく、
大学まで純粋培養された彼らは、ある意味無垢で無知なのだと思う。
それを利用とする悪意の存在に、思いのまま操られてしまうほど、
純粋で無垢で無知なインテリたち。
そういう人々を量産しているのが、現在の日本の高等教育ではないだろうか?
知識量だけを競わせるような入試制度、ただひたすら知識を覚え込むだけの学習など、
自分なりの考え方を身に着けさせない教育のツケのような気がする。