まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

子は親の鏡・・・複雑な気持ち。

(義父については関連記事http://blogs.yahoo.co.jp/joy_spring2010/11218514.html
お読みください)
 
義父はとても人当たりのいい人物だ。
そしてとても気前が良く、驚くほどの低姿勢。
「穏やかで謙虚で、あんないい人を見たことがない」
と他人様からは評されている。
 
しかし、義母に対してはDVを繰り返してきた。
それも、鼓膜が破れたり、肋骨にひびが入ったりするほどの激しさで。
暴言は日常茶飯事、義母を完全に見下し、罵倒し、打擲を加えてきた。
 
転勤を繰り返していたとは言え、そこまで激しいDVだったことを、
恥ずかしながらわたしは昨日まで知らなかった。
MRIの待ち時間、義母と二人きりになった時に初めて知ったのだ。
「どうして離婚しなかったんですか?
お仕事もきちんとなさってて、生活の心配もなかったのに」と尋ねると義母は、
「いつか別れてやる、とは思ってたの。
でも、子どもたちが二人とも結婚する前に別れたら、
『新郎母』や『新婦母』がいない結婚式になるでしょう?
子供たちに恥をかかせては可哀想だと思って・・・。
だから、下の子の結婚式の帰り道で啖呵切ってやろうと決めて、
一人の時に口上まで練習してたんだけど・・・式を挙げずにただ両方の親と本人たちだけの食事会で。
その帰り道って言ったって、何だか恰好がつかないし、
第一その頃にはもう、あなたのところに子供が生まれて、孫が二人出来ていたし。
離婚したら、子どもとも孫とも会えなくなってしまうと思ったら、
どうにか我慢しよう、仕方がないって気持ちになっちゃったのよね」
 
言葉がなかった。
現役だった頃からの趣味の世界を極めていて、
あの「日展」にも毎年入選している義母。
日本全国を忙しく飛び回る義母のことを夫は、
「好き勝手してて、本当に身勝手だ。
子供だった頃は、暴力振るわれて泣いてるあいつが可哀想で、
親父が一方的に悪いと思ってたけど、あいつには殴られて仕方がない理由があるんだ」
と突き放したように言い、ずっと義父の肩を持って来たのだ。
「そうなの?暴力振るわれたりして我慢ならなかったから、
家庭の外に居場所を求めたんじゃないの?」と何度言っても夫は
「暴力振るわれるって言うけどな、自業自得、身から出た錆だ。」と言い、
「よく事情も知らないくせに、身内のことをとやかく言うのは止めて欲しい」と
毎回非常に不機嫌になるのだった。
 
わたし自身は夫から暴力を振るわれた経験は一度もない。
しかし、わたしたちに初めての子供が生まれたとき、夫は
「子供なんて犬畜生と同じだ。
殴らなくちゃ、何も分かるようにならない」と恐ろしい暴言を吐いた。
そして、上の子供に対して、その言葉通りに接した。
特に、子供がおとなしく殴られないとき。
事情を説明しようと「あのね・・・」と口を開いた途端、夫は逆上し、
「言い訳をするなーッ!!!
お父さんは、言い訳をするヤツが大嫌いだーッ!!!」と叫び、
まだ幼い息子を平手で何度もぶつのだった。
火が付いたように泣く息子の声と、服の上から身体を打つ鈍い音が響く中、
暴力を目の当たりにして凍り付くわたしの姿を、
もう一人のわたしが幽体離脱したように眺めていたことを、かすかに覚えている。
しかし、この記憶自体にガードがかかってしまったらしく、
うつ病になってから、
音や空気感まで伴っていたはずの生々しい記憶が蘇ることはなくなった。
ただ、夫に対しての愛情がなくなってしまっただけで。
 
夫と知り合った学生時代、夫は誰に対してもにこやかで、
非常に謙虚な人物だった。
そんな夫に好感を持ったのだったなあ。
でも、、結婚した途端、夫はわたしを「どうでもいい人物」として扱うようになった。
先輩や友達と飲み歩くことにばかり熱心で、
家では話もせずに自分の好きなゲームや格闘技のビデオに熱中。
不満を漏らしたわたしに夫は、
「友達もいないあなたと違って、俺にはパイを分けなくちゃならない
友達も先輩も沢山いるんだ。
あなた一人の取り分が少なくなるのは当然のことだろう」と言ったんだっけ。
ああ、この人は、沢山の友達や仕事の先輩と生涯の伴侶とを、
同列か、むしろ伴侶の方を下に見る人だったんだ、
そんな人だったことをわたしは見抜けなかったんだ、と絶望的な気持ちになったのだ。
実家へ帰った折、夫にこう言われたことを両親にも話した。
後日、母から、
「あのね、お父さんがあなたのことをすごく心配してたのよ。
『あいつは大丈夫なのか?あの男と一緒になって幸せになれるのか?
饅頭だと思って拾ったら馬のクソだったんじゃないのか?
俺は何だか心配だ』って言ってねえ」と電話があった。
 
夫のことが長年不可解でならなかったけれど、
義父と義母との話を聞いて納得した。
夫は義父と義母との修羅場を見せられ続ける生活の中で、
自分が壊れずに生き延びる術を身に着けるしかなかったのだろう。
それが、他人に無関心になることであり、
また、相手への共感や思いやりを捨てることだったのだろう。
他人と良い関係を築いたり、仕事の業績を上げて出世することに集中していた夫は、
義父のことを深く分析し、それと同じにならないようにする方法を探すことをしなかった。
だから、「情けない野郎だ」と口では義父を批判しながらも、
徐々に義父とよく似た人物になっていったのだろうと思う。
 
「子は親の鏡」。
本当にそうだ。
呪われた血。
「かあさんみたいな奥さんやお母さんにだけは絶対にならない!」が出発点のわたしだって、
たまに「今の口調、亡くなったお母さんにそっくりだったよね」と
夫に指摘されてハッとすることがある。
子供たちを注意する時の自分の口調や言葉の中に母の亡霊を感じて、
自分自身でゾッとすることもある。
 
ボロボロの歯を剥き出しながらわたしにまで愛想笑いをする義父。
昨日病院で、わたしがちょっと席を外して戻ってみたら、
一体何があったのか、義母との間が険悪な雰囲気になっていた。
ロビーで座る時も決して義父とは並ばず、わたしを真ん中にして、
さらにわたしの隣に荷物を置いて遠くに座る義母。
鼓膜を破り、肋骨にひびを入れ、口汚く罵り、相手を身体も心も傷つけ続けて、
さらにここから先、この人は認知症になって迷惑をかけ続けるのか。
 
夫婦って、一体何なんだろう。
いつまでも幸せに愛し合う夫婦なんて、
実はどこにも存在していないんだろうか。
虚無感に襲われてしまうわたしである。