まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

機能不全家族の息子+機能不全家族の娘

一昨日、結局夫は家に帰って来なかった。
昨日、娘が塾に行っている間に帰って来た夫と話をした。
そして、今までモヤモヤとしていたことがクリアになった。

結婚直後、わたしがPTSDを起こして情緒不安定になったときも、
息子が生まれる前に仕事先でパワハラに遭って情緒不安定になったときも、
娘が生まれて3年後にうつ病(実際にはPTSDだったのだが)になったときも、
東京へ引っ越して2年目にうつ病が再燃したときも、
抗うつ剤の過剰投与で「躁転」(うつの状態から一転躁状態になること)したときも、
夫はわたしの異変に全く気付かなかった。
いや、そうじゃない。
気付きはしたが、「めんどくさい」という態度で無視したのだ。
「心の異常」は、実は脳の働きの異常だから、
本人には「異常」だという感覚(「病識」と言う)がないことが多く、
周囲の人が気付いてやらなければ、手当が遅れてしまうことが多いのに。
後日、わたしがそんな夫の態度を責めると、夫の答えは毎回
「まだ大丈夫だと思った」だった。

娘が引っ越し先の幼稚園でひどいいじめに遭った時、
即刻転園させるべきと言ったときも「まだ大丈夫だろう」。
実際は中等度まで認知症が進んでいた義父のことも、
「まだ大丈夫だろう」。
わたしだけでなく、家族の誰がピンチになっても、
夫はすべて「まだ大丈夫だろう」のひと言で逃げて来たのだ。
「お父さんってさ、一番大事な時にいろんな意味で『居ないひと』だよね」
当時中学生だった娘が放った言葉の鋭さに、
息子とわたしがハッとしたこともあった。

でも、昨日夫と話をして、わたしはようやく悟ったのだ。
そういう夫の態度は、義父や義母と暮らす中で夫が自分を守るために身に着けた、
処世術だったのだということに。
夫が物心付いた時から、義父は義母に暴力を振るっていた。
夜中に両親が怒鳴り合う声と、母親の泣き声で目を覚ましたことが何度もあった、
自分が間に入って母親を守りたかったけれど、子供だった自分にはどうにも出来なかったと、
夫はわたしに何度も話したことがあった。
その頃の夫の心情は十分理解出来たけれど、そういう子供だった夫が、
その後義母のことをどうして心底憎むようになったのかが分からなかった。
義母は非常に独善的で、自己中心的な物の見方をする人だ。
世の中に自分以外に重要な存在はないとでも思っているかのような。
だから、義母は自分のそばに、自分が受ける暴力で自分以上に傷ついている人物
(わたしの夫のこと)がいることに気付きもしなかったのだろう。
そのことが、ますます幼かった夫の心を傷つけて行くことにも気付かずに。
夫は自分自身が壊れてしまわないようにするために、
家族の異常は見て見ぬフリをするようになった。
そして、時が経つうちに、家族に異常を察知した途端、
心のシャッターをすーっと下ろす技を身に着けたのだ。
あとは、家族がどういう状態になろうとも、見えないし聞こえない。
夫はそうやって義父と義母が年中怒鳴り合い、争い合う家で自分を保っていたのだろう。
その一方で、自分のことばかり可愛がる母親(義母のこと)への
憎悪を募らせながら。

昨日の話し合いの中で「面倒ごとに巻き込まれるのがイヤだった」と夫は言った。
「人と揉めるのも、揉めてるのを見るのもイヤだった」とも言った。
特に家族の中での面倒ごとに巻き込まれるのがたまらなくイヤだったのだと。

それにしても。
母と姉に虐待されて育ったわたしと、
面前DVという児童虐待を受け続けて育った夫と。
虐待を連鎖させないように・・・なんて話が出てきたのは、
ごくごく最近のことだからなあ。
わたしの母も、夫の父親も、さかのぼれば虐待の被害者で、
そのまた親世代もまた、そのまた親世代もまた・・・ということなのだろう。
一体、誰が悪いのか、もう分からない。
一つだけ確かなのは、虐待の連鎖はどこかで止めなければならないということ、
そして、虐待を受けたことで周囲の人たちとの関係が歪んでしまったとしても、
その責任は虐待した者ではなく虐待を受けた者が負わなければならないということだ。

何にせよ。
夫と昨日話して、今まで不可解だったことが分かって良かった。
モヤモヤしていたことがクリアになったお陰で、
また前に進んで行こうという気持ちになれたように思う。