まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

娘は「名門女子高」(?)の一員となったけど・・・。

娘は女子高に入学した。
全国的に見ればそんなにレベルが高い学校ではないはずなのに、
口を開けば「伝統ある名門女子高」「全国屈指の名門女子高」。
学校へは8時までに登校しなければならない。
3年生になったら7時半までに登校。
そして、8時半の始業時刻まで自習しなければならない。
「うちの生徒たちはみな、伝統的に朝学習で輝かしい成果を収めているのです」だって。
そして、息子が通ったトップ校でもそうだったけれど、
凄まじい量の課題を出し、試験前には学習計画表を提出させる。
服装検査もものすごく厳しくて、毎朝校門前に先生が立って生徒をチェックしている。
もうすぐ行われる宿泊研修はお楽しみ要素ほぼゼロで、
1泊2日の間、「講話」と「精読」ばかりだ。
 
私は仙台にかつてあった某女子高の卒業生だ。
一応進学校だったけれど、驚くくらい自由な学校だった。
私は子どもの頃から遅刻魔で、高校の3年間で始業のチャイムが鳴る前に学校に着いたことは、
ほんの数えるくらいしかなかった。
(天文部の当番で太陽黒点観測を行う日だけ早く登校した)
一度など、始業開始20分後くらいに学校に着いたらいつになくシーンとしていて、
「へえ、今日は随分と静かなんだな」と思ったら試験の日だった、という間抜けなこともあったくらい。
でも、そんな時にも先生は怒るわけでもなく、ただニヤッと笑って、
「おう、○○(私の名前)、余裕だなあ」と言っただけだったけどね。
周りの友達にも変わってる子がいろいろいた。
基本的に学校は全休してるけど、東北大から来てた講師の先生方の誕生日になると、
自作の素晴らしいケーキ(プロよりすごい!とみんなが驚くような出来栄えだった)を持ってくる子とか、
(この子は東北大の先生の子供だった。将来パティシエールになりたい、
だから学校で勉強する意味が分からない、と全休してたけど、
ケーキを持ってきた日だけ「せっかく来たから」と授業に出てた。
そして、天才か?!と思うくらい数学が良く出来た。
結局1年留年したけど、「進みたい道へ進むためには高卒の資格が必要だから」と、
私たちの一つ下の学年に入って真面目に勉強するようになった)
キャプテン・フューチャーを現在の科学で解明されてる事実と矛盾のないように書き直す!」
と息巻いてる子とか、
学校帰りに「名作座」に寄って必ず映画を見て帰る子とか・・・。
宿題はほとんど出なかった。
試験前の勉強についても「ああしろ、こうしろ」と言われることはなかった。
勉強をやりたい奴は自分に合った方法でやれ。
勉強をやりたくない奴はそれ以外で自分に合ったものを見つけろ。
「進学実績を上げるために勉強しろ」と言う先生も中にはいたが、
そういう先生は少数派で無視すればいいだけだった。
それでも、みんな3年間で何となく自分の方向性みたいなものを見定めて、
殆どがちゃんと進学して行ったんだよなあ。
 
息子が通ったトップ校と言い、娘が入った女子高と言い、
ここでは誰も子どもたちを信頼していないように思える。
服装から勉強方法から生活態度からありとあらゆる面のあらゆることに関して、
常に大人が監視の目を光らせていなければダメなのだ、
と言わんばかりだ。
そうやって学校でギシギシ締め付けられている一方で、
家庭に戻れば殆どが共働き世帯で家では大人の目がないので、
ここの子たちはみんなスマホに走っている。
(当地の高校生のスマホ保有率は97%で、全国平均より10ポイント以上高い)
そして、LINEを使っての陰湿ないじめが横行している。
学校からもスマホの使い方に気を付けろとか、
スマホを持たせるかどうかよく考えて与えるようにとか、
注意喚起のお便りはいろいろ来るけど何にもなっていない。
現に新高校1年生の娘のクラスの子たちもほぼ全員おニューのスマホだそうだ。
(娘は、私が父の世話をしに仙台に通うようになった、中2の秋に買ったPHSだけ)
 
締めるところ、緩めるところが、どうにもチグハグな気がするのは私だけなんだろうか?
何にしても、波乱の予感を含みつつ娘のJK生活が始まったのだった。
(JKが女子高生を表してるって最近知ったので使ってみた)