まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

ミミさんへ、または1983年の修学旅行

ミミさん、本当にわたしたちは「いい時代」に育ちましたよね。
インターネットも携帯できる電話もなかったし、
普段からカメラを持ち歩いている人もほぼいなかったし。
今みたいに世の中全てが監視しあってるみたいな、
「壁に耳あり 障子に目あり」状態ではなく、
全てに鷹揚だった気がします。
鷹揚・・・今は殆ど聞くことがなくなってしまったけれど、本当にいい言葉。
辞書によれば、
「鷹がゆったりと大空を舞うが如く、余裕があって目先の小事にこだわらないさま」
とあります。
「目先の小事にこだわらない」・・・ここ、大事ですよ。
人生の教科書があったなら、グリグリと力強くマークしておきたいくらいです。
そして、何が小事で何が大事かを見分けるには、
座学だけでは身につかない智慧とある種の度胸とが必要になるのだと思います。

さてさて、前置きはここまで。
わたしが仙台の女子高に通っていた1983年の修学旅行の話です。

前年開業したばかりの東北新幹線に乗り、
わたしたちは京都・奈良方面へ向かいました。
車内ではトランプをしたり、おしゃべりしたり、おやつをあげたりもらったり。
中には読書しようと試みる者もいましたが、いつの間にか遊びに加わってしまっておりました。
大宮駅で降りて(まだ大宮までしか通ってなかったため)、
重い荷物にヒイヒイ言いながら乗り換えて東京駅まで行き、
東海道新幹線に乗りました。
途中、誰からともなく「富士山だあ!!!」の叫び声。
今と違って太めの女子高生が360人も一斉に片方の窓に殺到しました。

そして・・・寺社仏閣中心に、散々見学した・・・はず。
でも、恥ずかしながら、あまり良く覚えてないのです。
覚えていることと言ったら、「清水の舞台」が思ったより低かったこととか、
東大寺の大仏殿の柱にあった大仏様の鼻の穴と同じ大きさの穴を、
「通り抜けるといいことがある」と言われたにも関わらず、
意外なほど小さな穴に自分のお尻がつかえて恥をかくことを恐れて誰も通らなかったこととか、
二条城のうぐいす張りが全然キイキイ言わず、
みんなでドシドシ歩いた後で「あれは忍び込んだ者を見つけるための仕掛けなので、
忍び足で歩かないと鳴らないのです」と聞かされガックリ来たこととか、
奈良公園のシカにお尻を噛まれてひどい目にあった子がいたこととか、
本願寺(西だったか東だったかも覚えてない)見学の際に、
生活指導担当の美術の先生が、
「おめーら、ちゃんと見学しろよーっ!!!」という叫び声を残して道を渡って行き、
信号が3回変わる間スケッチして戻って来た時には見事な五重塔の絵が出来ていて驚いたこととか、
弥勒菩薩のお顔がこの世のものとは思えないほどの慈愛にあふれていて、
感動した女子高生の群れで菩薩様の前が大変なことになったこととか、
龍安寺の石庭を見た後石の数をめぐって言い合いになったこととか、
平等院鳳凰堂を10円玉とくらべて「そっくりだー!」と驚いたこととか、
本当にどうでもいいようなことばかりで。

しかし、わたし個人の一番の「びっくりポン」は旅館でのこと。
なんと、運動部の部員でウイスキーの瓶を持ってきた者が複数いたのです。
お酒は買えないけれど、コーラならいくらでも買えるので、
ウイスキーのコーラ割にするといいよ!と先輩から入れ知恵されたらしく・・・。
わたしたちが泊まった旅館には放送設備もない旧館があり、
そこの部屋には見まわりの先生が来ない、という情報も先輩から得ていたようでした。
お風呂から上がると、驚いたことに、ウイスキーの瓶とコーラの大瓶を持った子たちが、
ゾロゾロと部屋から出て行ってしまったのです!!!
13人部屋で、残ったのはわたしを含めてたったの4人だけでした。
文化部に所属していたわたしたちは「お酒飲むなんて信じられないよね」と言いつつ、
普段家では見られない「11PM」を見ておりました。
そこを先生に踏み込まれたのです。
「部屋長は誰だ?」「はい、わたしです」(当然押し付けられていたのはわたし)
「残りの者はどこへ行ったんだ?」「さあ~、お手洗いじゃないでしょうか?」
「呼んで来なさい」「分かりました」
と言うわけで、急いで旧館へ走りましたよ、わたしは。
なんとか部屋の子たちに戻ってもらってその晩は事なきを得ました。
次の晩、布団の中に着替えやタオルを詰めて寝ているように見えるようにして、
また運動部の子たちは部屋を抜けだして行きました。
そして、翌日の見学の時間に「二日酔いになった~」と死にそうになってる者もいたのです。

今こんなことやったら、大変な騒ぎになりますよね、きっと。
飲酒した生徒だけでなく、学校側の責任問題になって、
校長が会見して頭を下げたり、担任団が減給になったり左遷されたり、もうただでは済みません。
でも、あの頃ってものすごく鷹揚だったのです。
「ここで、こいつらの行状を理由に厳しい処分を下さなければならないくらいの大事ではない」
と先生方も思って見逃していたのだと思います。
現に、その時飲酒していた子たちで、その後道を誤ったりした子はいませんでした。
多分、日本のどこかで「修学旅行に行った時にお母さんバカやっちゃってさ」と、
笑いながらあの時の話をしていることでしょう。

未成年が飲酒していいと思ってるのか?!と目を三角にする向きもおられるでしょう。
わたしが言いたいのはそういうことではないのですが・・・。

ミミさんにはわたしの思い、上手く伝わったでしょうか。