まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

福島から避難した子供へのいじめ問題から思うこと

横浜で、続いて新潟で、福島から避難した子に対して、
「菌」呼ばわりするいじめが行われていたことが大きく報道されている。

個々の事案については敢えて触れずにおこうと思う。
しかし、二つの出来事に関して、
「福島や原発事故、放射線に対する無知と無理解とが引き起こした」
とする一般的な論調に対して、わたしは「的外れ」との感想を抱いている。

日本の社会は表面的には「多様性を認める社会」になった。
でも、それはまるで24時間道徳の授業みたいな、
きれいごと(=建前)だけの社会になったということに過ぎず、
みんな心の中には、一切外に出すことが許されなくなってしまった、
不満や本音や様々なドロドロを溜め込みつつ生きているのが実情なのだ。
そのドロドロの中には「異質なものは差別したい」というものも入っているし、
「何か理由を付けて誰かをつるし上げたい」というものも入っているんだと思う。
今回の出来事はまさにそれなんだろう。
放射能とか福島とか、わたしたち大人が思っているほどこの出来事の核心となるものではなく、
とにかく「異質」で「いじめる理由」があったから、
彼らはターゲットにされただけなのだ。

(そういう「きれいごと社会」として日本の一歩も二歩も先を行っていたアメリカが、
トランプが現れたことによりどんな恐ろしいことになっているかを見れば、
わたしが言っていることの意味が分かっていただけるように思う。
トランプは「パンドラの箱」を開けてしまったのだ、きっと。
「男女平等」とか「LGBTの権利を認める」とか「マイノリティ保護」とか、
美しい思想の包み紙で覆われていた箱、
世界中の人たちから堅固だと思われていたその箱をポピュリストがあっさりと開け放ち、
その中からおぞましく醜いものがすさまじい勢いで飛び出して来てアメリカの社会を覆ってしまった。
しかし、そのおぞましく醜いものとは、
悲しいことに全ての人が心の中に従来持っているものに過ぎなかったのだと思う)

それにしても。
「菌」呼ばわりなんて、日本中、実はどこにでもある話なのだ。
そんなあだ名をつけられた子がいるクラスの担任の首を切ったとしたら、
相当数の先生が即刻辞めさせられなくてはならなくなるくらいじゃないかな。

でも、昔はもっともっとひどかった。
あだ名とは今よりもっともっと差別的で、名前を歪めて付けたり、
その子の見た目の欠点とかその他の欠点などをダイレクトに表すものばかりだったと思う。
例えば「うじいえくん」は「ウジ虫」、「あきこちゃん」は「アッキーブス」、
「さかきくん」は「さかきん」、「たまきちゃん」は「たまき〇」(←女の子なのに!)などなど。
以上はわたしが小学生だった頃、身近で実際に使われていたあだ名だ。
(かく言うわたしも「めがねいも」と呼ばれており、のちに縮めてただの「いも」になってしまった。)

さてさて。
そんなわたしのクラスメイトの中に「博士」と呼ばれる男の子がいた。
「博士」なんて、素敵なあだ名と思われるだろうか?
彼は信じられないくらい成績が悪い子だった・・・そう、「博士」とは嫌味で付けられたあだ名だったのだ。
後から考えると、彼はいわゆる「境界児」(知的障害と健常との中間に位置する子供のこと)
だったのだろうと思うのだが、彼は成績が悪かっただけでなく、
手先もとても不器用で、運動も非常に不得意であり、いつも手や顔が汚れていて、
弱視のため牛乳瓶の底のようなメガネをかけていた。
ナマケモノ」を思わせるような顔つきをした「博士」は、
クラスのほとんどの男子からも女子からものけ者にされていた。

席替えの日。
先生がわたしに「博士の隣の席に座るように」と言った。
その頃のわたしは、学級委員をしていたし成績が結構良かった(算数を除いて)。
「博士が分からないところを教えるように」と先生に言われたけれど、
正直言ってわたしは「博士の隣の席なんて、嫌だなあ」と思った。
「博士」は本当に勉強全般が出来なかった。
字はめちゃめちゃ下手クソで誤字脱字だらけだったし、
教えたことも教えたそばからどんどん忘れてしまうようだったしで、
わたしは途方に暮れてしまいそうになった。
その上、「博士の恋人~」などと男子にはやし立てられたりもして、
ひどい貧乏くじを引かされたなあと、とほほな気分になる毎日だった。

しかし、毎日隣の席で観察を続けるうちに、
「博士」がとても優しい心の持ち主だということがわたしにも分かってきた。
体調を崩して休んだりすると、「大丈夫?」と気遣ってくれたりした。
それだけでなく、彼はとても几帳面で真面目な子だということも分かった。
ある時、わたしが「ルパン三世が好きなんだ」と話したところ、
次の日、彼は「これ、貸してあげる」と番組を録音したカセットテープを貸してくれた。
(その頃はまだ家庭用の録画機器がなかったため、番組を録音することしかできなかったのだ)
聞けば、番組を欠かさず録音し、カセットテープに通し番号を付けて整理してあると言う。
そういう類のことが大の苦手であるわたしには、信じられないような話だった。
「博士ってすごいね、几帳面なんだね」と感動したわたしが言ったら、
「博士」は「え~、そんな~、別に大したことじゃないよ~」と言いながら笑った。

「博士」は相変わらずいじめられていた。
バレンタインデー(わたしたちが小学校高学年だった頃から急に盛んになったように思う。
学年でもおませな女子たちの中にはチョコを持って来て男子に配る子も現れていた)の放課後、
とある女子が「これ、余ったから、博士にやるわ」と言いながら、
「博士」に向かってチョコを投げたことがあった。
見ていた子たちはドッと笑ったが、「博士」はうつむいたままで、
机の上に落ちたチョコを手で払い落した。
そして、うつむいたまま、無言でランドセルを背負って帰って行った。
次の日、「昨日のことさ・・・」と言いかけたら、「博士」は
「オレ、全然気にしてないから~。
ただ、ちょっとイヤだっただけ~」と言って笑ったけれど、その笑顔はやっぱり寂しそうだった。

そんな風にして「博士」の毎日は過ぎて行った。
相も変わらずいじめて来る子たちもいたけれど、
わたしのように「悪い子じゃない」と分かって付き合う子たちもいて、
中には「おい、お前、博士なんだろう?一体何博士だ?」など嫌味を言う先生もいたけれど、
「博士はサボらずにちゃんと掃除して、えらいなあ」と誉める先生もいて。
成績は地を這うように最下位争いしていたものの、
不登校になることもなく、数は少ないけれど仲良しの男子もいて、
中学校を卒業して地元の私立高校へ進むことが出来たのだ。

そういう「博士」みたいな子が沢山いたはずだと思う。
いじめて来るヤツらもいたけれど、認めてくれる子たちもいて、
「博士」は自分を全否定された気持ちにならずに暮らすことが出来たのだ。
もちろん、「博士」の家族の存在がとても大きかったのは言うまでもない。
わたしの母が保護者会に行った時、「博士」のお母さんから、
「いつもうちの子がお嬢さんに仲良くしてもらっていて・・・。
うちの子は頭は悪いけれど、よく家の手伝いもしてくれて、
妹のことも可愛がってくれて、結構助かってるんですよ」と聞かされた、と言っていた。
子供の世界は学校が半分、家庭が半分をそれぞれ占めている。
学校での半分が絶望的な状況だとしても、家庭での半分がそうでなければ、
子供って何とかなるものだと思う。

だからね。
今回の出来事も、学校での半分だけを責めたってダメじゃないかなあ、とも思うのだ。
家庭って、いつの間にか子育てのメインステージじゃなくなったみたいな扱いだけど・・・。
でも、子供たちの生活のメインステージが学校と家庭の両方だということは、
今も昔も変わりないことなんじゃないのかなあ。

それにしても。
子供たちにも「不寛容」がまん延しているのだ、という事実に暗い気持ちになる。
子供って本来とてもフレキシブルな生き物であったはずなのに。
子供たちが子供でなくなってしまった(大人の価値観がダイレクトに入ってしまっている)ことが
大きな原因なのだろうか。
大人の穢れた価値観に物心ついた途端に毒されてしまっているみたいに感じるんだよね。
メディアが悪いのか、それとも大人がみんな愚かになってしまったのか、
その両方なのか・・・。
「子供はけがれのない、天使のような存在」というのは、実は嘘じゃないと思う。
ただ、大人の接し方によって、いかようにもなってしまうというのも悲しいけどまた事実で。
子供たちの心が病んでいるということは、すなわち大人たちの心が病んでいる、
ということに他ならないのだろう。