まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

ひめゆり学徒隊、学徒出陣~戦後70年の節目の年に~

戦後70年の節目の年ということで、
あちらこちらで先の大戦の特集を見かけることが多くなった。

先日娘に頼まれて出かけた書店でも、
入口近くに「第二次世界大戦関連書籍特集」が組まれていた。
ひめゆり学徒隊の記録の文庫本を手に取って少しだけ読んだ。
アメリカ軍の攻撃にさらされた学徒隊の少女たち。
内臓が飛び出すような致命傷を負った友人から、
苦痛の余り毒薬を飲ませてくれるよう懇願されたという生き残った方の証言。
余りのことに先を読めずに本を閉じた。

その方たちは当時まだ16歳だった。
16歳・・・うちの娘と全くの同い年。
(しかも、うちの娘も女子師範学校の流れを組む女子高の生徒だ)
何てこと・・・何てむごいこと・・・。
あたら若い命をむざむざと落とさなければならなかった少女たちの無念。
その後の人生を消せない記憶を背負ったまま生き続けることになった方たちの苦悩。
そして、大切な娘をそんな形で奪われた親御さんたちの絶望。
屈託のないうちの娘の笑顔を思い出したら、
なんだか悲しくてとてつもなく申し訳なくて・・・。

うちの息子は今20歳、文学部哲学科の学生だ。
世が世なら「役に立たない学生」ということで、
真っ先に戦場へ送られることになるのだろう。
そんなことになったら・・・と思っただけで、泣きそうになってしまう。
でも、70余年前には現実にそれが起こったのだ。

昭和40年代初頭生まれのわたしが子供だった頃、
周りの大人たちはみんな戦争経験者ばかりだった。
福島の田舎でGHQの兵隊を初めて見た時のことを話す先生もいたし、
食糧を分けてもらいに農家へ行った時の話をしながら、
感情が昂ぶってしまって泣き出した家庭科の先生もいた。
でも、そういう話を積極的にしてくれた大人はみんな、
戦争中に「こども」だった人たちばかりだったのだ。
(よく戦前戦後の話をしてくれたとうさんも、終戦時15歳だった)
海軍少尉として潜水艦に乗っていたという大叔父から、
戦争の話を聞いたことは結局一度もなかった。
多分、わたしと同世代の人たちは皆似たような経験をしたことだろう。
本物の戦争を見聞きした人たちは、沈黙したまま亡くなってしまった。
戦後20年ほどで生まれた「第二世代」のわたしたちでさえ、
直接体験者から聞けた話は、「こどもの目から見た戦争」でしかなかったのだ。

集団的自衛権の議論の中で、
「日本が普通の国になることのどこがいけないのか」という話を聞く。
普通の国の普通の歴史。
それが意味するものは一体何なのか?
人類の歴史は戦争の歴史。
人類の手は血まみれなのだ。
普通の国になるということは、
再びそういう血まみれの歴史を刻む国の仲間入りすることに他ならない。
先の大戦で亡くなった人たちがそんな歴史を望むだろうか。
第一、そんな国になってわたしたちが変わらず日本を好きでいられるだろうか。

とにかく、まずは学ばなければ!と強く思う。
人々の無知を喜ぶ者たちは、いつの時代もきっといるのだから。