まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

音楽でタイムスリップ!

毎朝7時、それまでつけていたFMラジオを消し、
ステレオで音楽をかける。
寝ぼすけの娘を音楽で起こすためだ。
かける音楽は、その日のわたしの気分によって替わる。
ジャズだと娘はまた寝てしまう(無礼者!)ので、
Stievie Wonderだったり、Perfumeだったり、SMAPだったり、
あとは熱帯ジャズ楽団やら東京スカパラダイスオーケストラだったりする。
 
今日はアーサー・フィードラー指揮、ボストン・ポップス・オーケストラ演奏の
「リロイ・アンダーソン作品集」をかけた。
「そりすべり」をかけた途端、ひと足早く家の中はクリスマス気分になった。
「ワルツィング・キャット」「ジャズ・ピチカート」「ブルー・タンゴ」等々、
軽快で耳馴染みのいい明るい曲がつづく。
そして、曲が進み「舞踏会の美女」「セレナータ」が流れた時、
わたしの脳裏に懐かしい光景が浮かんだ。
 
当時住んでいた、山形県の酒田という町の社宅で、
わたしはいつもこの曲に合わせて子供達と椅子で遊んでいたのだ。
キャスター付きの背もたれのある椅子に子どもたちを一人ずつ座らせ、
曲に合わせて「ダンス」するという遊び。
当時幼稚園児だった娘を乗せる時は「舞踏会の美女」をかけ、
「素敵なお嬢さん、わたくしと1曲踊ってくださいませんか?」とセリフを言ってから「ダンス」を始める。
「ダンス」と言ったって、わたしは全然踊れやしないんだから、
ただ音楽に合わせてめちゃくちゃに動くだけ。
椅子にキャスターが付いてるのをいいことに、クルクル回したり、壁ぎりぎりまで滑らせたりすると、
娘はキャアキャア言って喜んだものだっけ。
小4だった息子を乗せる時のBGMは「セレナータ」。
曲のイメージから、闘牛士になったつもりで、見えない牛と闘ってるみたいに動かす。
娘の時に比べて速く動かしたり、イレギュラーな動きで振り落とそうとしたりすると、
息子も本当に喜んだものだった。
・・・亡くなったかあさんがわたしたちが遊んでる様子を見たら、
きっと悲鳴を上げただろうけど。
「危ないこと!」「畳が切れる!」「お行儀が悪い!やかましい!」などと注意する、
分別のある大人が誰もいなかったから、
わたしたちはいつもこの遊びをやって大いに盛り上がったものだった。
(2年後、酒田から次の町に引っ越す時に、畳はちゃんと換えてもらったし、
ふすまは張り替え、自費でハウスクリーニングも頼んだので、ご安心ください。)
 
そう言えば・・・。
わたしがまだほんの小さな子供だった頃、
実家ではいつもボストン・ポップスのレコードが流れていた気がする。
かあさんが「情操教育のために」と買ったらしく、
アーサー・フィードラー指揮ボストン・ポップス・オーケストラ演奏
「夢のポピュラーコンサート」みたいな名前の書かれたボックスセットがあって、
グローフェの「溪谷を行く」とか、「クシコス・ポスト」とか、あとはフォスターの曲、
そしてリロイ・アンダーソンの曲などが物心ついた時にはもう耳馴染みになってたっけ。
目の前のテーブルには、黒い漆塗りの地に、
紅色で花火みたいな模様が描かれた「おやつ皿」が置かれてて、
そこにたまごボーロと、銀紙に包まれたフィンガーチョコが入ってたなあ。
南向きで日当たりの良い茶の間には、
レースのカーテンを通して明るい陽射しが差し込んでいたっけ。
まだ小さかったわたしは、おやつをパクパク食べながら、
何事か一生懸命かあさんに向かって話していた。
わたしに向けられたかあさんの顔は思い出せないけれど、
とにかく、この光景全体が、暖かいレモン色の光に包まれていて、
思い出すだけで幸せな気持ちになるような気がする・・・。
 
気が付いたら、握りかけのおにぎりを持ったままぼんやりしちゃってた。
音楽が持つ力で、ほんのひとときだけど、タイムスリップしたわたしだった。