まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

わたしはオリンピックは見ない。

ロンドンオリンピックが近づいてきた。
テレビでも各局テーマ曲を決めたり大騒ぎだ。
でも、わたしはオリンピックは見ない。
正確に言うと開会式以外のオリンピックは見ない、と言うべきか。
 
ボルトが世界最速だとか、北島がどうだとか。
彼らはスポーツサイボーグだ。
彼らが走ったり泳いだりするのをどれだけ沢山の人間が支えていることか。
食事からトレーニングメニューからメンタルサポートから、
文字通り朝起きてから夜寝るまで、彼らを速く走らせたり泳がせたりするためだけに、
何百人という人間が彼らのためだけに働いている。
走ったり泳いだりするだけで彼らの生活は成り立っている。
・・・そんな恵まれた人間が世界中に一体どれだけいるというのだ?
貧しい国の代表選手たちなんか、ロンドンまで行くので精一杯だ。
日頃は普通に仕事をして働き、
少ない空き時間をやりくりして練習時間を確保している選手たち。
本来そういう人たちにメダルは与えられるべきものではないのか?
それを、国策としてスポーツを後押ししている国や、
宣伝効果を当て込んでスポンサーになるような企業がある国の選手ばかりが、
高地トレーニングやら高濃度酸素なんちゃらやら、
「おいおい、そんなことまでして勝ちたいのかい?」と思うようなことを積み重ねて、
勝った者が「世界一だ」なんて言われたって、正直言って「はあ?」って感じだ。
 
日本はお金がなくて困ってるんだろう?
それなら、オリンピックでのメダル獲得競争なんかから早いところ抜けることだ。
ああいう競技スポーツは生涯スポーツと違って国民の健康増進の役には立たない。
歪んだナショナリズムを生むばかりだと思うのだけれど。
・・・あっ。
国民の不満をそらすために必要だってこと?
それなら、そんなことで目くらましされては一層いけないと思う。
だから、わたしはオリンピックは見ない。