SMAPに「心の国民栄誉賞」を贈ります。
今日も補習」がある娘を学校へ送った帰り、
立ち寄ったコンビニの店内に「夜空ノムコウ」が流れていた。
何だかわけもなく涙があふれて来た。
帰宅してPCを立ち上げたら、
ネットニュースがSMAPが正式に紅白出場を断ったことを
伝えていた。
3人の論客のそれぞれのSMAP論が掲載されている。
その中の小島慶子さんの
「アイドル降りた『人間宣言』」が非常に心に沁みる文章だった。
一部を抜粋する。
SMAP解散のニュースに接した時「ああ、そういう年齢だな」と思った。私と同じ悩み多き40代がそこにいると感じ、ほっとした。彼らもまた、歩んできた道に責任と誇りと不安を抱えた、ばらばらの「個人」だったのだと。
40代になると、それまでの人生で築いてきた価値観が、しっかりと重みをもち始める。責任が増したり、先のことを考えたりと、いろいろな意味で分かれ道に立つ。同窓会でも昔の仲間とバカ話で笑えなくなったり、何でもない冗談が溝を作ってしまったりする。
私は会社を辞めてフリーになる道を選んだ。辞めない人には辞めた人が裏切者に見える。辞めた人には辞めない人が長いものに巻かれているように見える。どちらが正しいということはないのに相手を否定することでしか自分を肯定できない。そんな不安な時が、中年期以降の人生にはたくさんあると思う。
SMAP解散は遠い芸能界の話だけれど、どこか既視感がある。誰もが自分の人生で、似たようなな験をしているのだろう。
(中略)
SMAPの解散は、アイドルらしさを求めるファンの期待を裏切った。だが、あの苦渋に満ちた40代の顔を見せたのは、期待されるアイドルを演じることから降りた、ということなのだろう。私は彼らの「人間宣言」だと感じた。
解散が発表された8月、天皇陛下が退位をめぐる「お言葉」を述べられた。「個人として」という言葉が、強く印象に残った。同じころ、リオデジャネイロ五輪・パラリンピックでは、期待された結果を出せなかった選手が「国民の皆さんに申し訳ない」と頭を下げていた。
全く別々に起きたこれらの出来事は、「全体のための個」「期待という圧力」という息苦しさを感じる日本社会で「私は個人だと言っていい」と考えるきっかけとなった。8月は、個人であることを許されず、見ず知らずの者が殺し合ったあの戦争の犠牲者を慰霊する月でもある。それは現代の私たちの働き方や子育てなどで感じる生きづらさと、どこか遠くでつながっていると思う。
紅白歌合戦の出場歌手が発表されたが、SMAPの名前はなかった。彼らがやろうと思わないなら、このまま終わってもいいと思う。人生は、絵にならなくても尊い。彼らが絵にならないまま終わることは、大げさに言えば「絵にならない人生には価値がない」と追い立てられている人々への、一つの「赦(ゆる)し」になるような気がする。
・・・そうだ、そうなんだ、そう言いたかったんだと、
この文章を読んで感じた。
わたしはこのブログでも何度か記事にした通り、
SMAPのファンというわけではなかった。
でも、人生の大事な局面でいつも彼らの歌に救われて来た。
今年はじめからの解散報道を受けて、
世の中にはわたしと同じ「隠れSMAPファン」がたくさんいることが分かったとき、
なんだかとても納得できる思いがしたものだ。
リオデジャネイロ五輪の後、「国民栄誉賞」がスポーツ選手に贈られた。
「国民を勇気づけ、前人未到の偉業を成し遂げた」ということで。
でも、わたしは彼女に勇気づけられた覚えはない。
過去「国民栄誉賞」を受けた沢山のスポーツ選手たちについても同様だ。
賞を受けた選手が贅沢な振袖を着た姿で報道陣の前でポーズを取り、
「こんなに素敵な着物がもらえるなんて、賞をもらえて良かった」的な発言をするのを、
わたしは鼻白む思いで見ていた。
オリンピック4回分は16年。
「未曾有」という言葉の嵐が吹き荒れた平成日本と共に歩んできたのだ。
被災地の人たちなら、不安な夜、ラジオから流れる
どれほど長い夜を耐える力をくれたかを、分かってくれるはずだと思う。
もうすぐ大つごもり。
SMAP解散の日は迫っている。
もう彼ら5人が笑顔で歌う姿を生で見ることは出来ないのだろう。
でも、それでいい。
それでいいのだと思う。
SMAPのメンバーの誰かに、
こんな人気のない、50代のおばさんが書いているブログが
読んでもらえるはずもないと分かってはいるけれど、
わたしは彼らに「心の国民栄誉賞」を贈りたいと思う。
彼らを解散させないで欲しいと心から願い、
署名に応じた37万もの人々も、
きっとわたしと同じ気持ちだろう。
ありがとう、SMAP。
これからのあなた方ひとりひとりの人生に、
いっぱいの幸あらんことを。