まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

ドネペジルを服用してから義父の認知症は突然進みました~その1~

認知症」書庫、久しぶりの更新です。

義父の認知症は、ここ1か月半ほどで急激に悪化しました。
おととしの6月に認知症と診断されてから、
確かに「進み方が早い」と主治医から言われていたものの、
ここへ来て3段階分くらい一挙に進んでしまった感じがします。

わたしが義父に会ったのは、9月下旬の通院日が最後でした。
その時は、ますます言葉は不明瞭さを増しており、
身体はますます痩せてまるで能の「翁」の面のような顔つきになっていました。
歩くのも覚束なくなり、手すりにつかまりながら、そろそろとすり足していました。
(歩き方については、義父はレビー小体型とアルツハイマー型混合の認知症なので、
どうしてもパーキンソン病的になるのだと思いますが)
いつものように主治医が「お誕生日は何年何月何日ですか?」と尋ねると、
「昭和・・・14年・・・だったような・・・」と、
久しぶりに生まれた年だけ正解しました。
ただ、その少し前辺りから、希死念慮的な発言(どうやって死んだらいいですか?
自分で首絞めて死んだらいいんですか?など)と共に、
自罰的な行為(頭を床に打ち付ける、「食べてはいけないのです」と欠食するなど)が見られるようになり、
施設側から「メマリーの効き目が薄れているのでは?」と言われていたため、
ありのままを医師に伝えました。
主治医は「ドネペジルを飲んだ方がいい段階に来たんでしょうな」と言い、
1日に3mgのドネペジルが処方されたのです。
そして、とりあえず1か月間服用させて様子を見、
変化等をわたしが1か月後に医師に伝えに行くことになりました。

10月半ばに施設へ話を聞きに行くと、
少し態度が尊大になり、強気な言動が目立つようになったのと、
夜寝つきがやや悪くなったくらいで、気になるほどのものではないとのことでした。
それをそのまま主治医に伝えたところ、
ドネペジルは増量せず、一日3mgを服用させるよう指示され、
次回は12月14日に義父も一緒に受診するよう言われたのです。

ところが。
10月も終わりの頃、施設付きの看護師さんから連絡があり、
奇行が激しくなっていると言われたのです。
今までのように傾聴だけでは不穏を鎮められなくなり、
短期間にリスペリドン(鎮静作用のある向精神薬)を何度も使わなければならなくなったこと、
ますます希死念慮や自罰的行為が激しくなって欠食や頭を床に打ち付ける行為が頻繁になったこと、
「御仏」に生きていてはいけない人間だと言われたなどの妄想がひどくなったことなどが、
その「奇行」の内容でした。
また、何を思ったのか、他の入所者もたくさんいた食堂で、
突如としてズボンを全部下ろしてしまい、職員さんが慌てて止めなければ
パンツまですべて脱いでしまうところだった・・・ということもあった、とのことでした。

そんな訳で急きょ11月はじめに受診することになったのですが、
生憎その日わたしは仕事で大事な会議に出席しなければならず、
夫が年休を取って義父を病院に連れて行くことになりました。
主治医は話を聞き、「まあ、施設側は万が一何かあったら・・・ということで、
割に大ごとに考えますから」と、そのまま薬を服用させるように言ったそうです。

「どうだった?」と尋ねたわたしに、夫は
「まあ、〇〇さん(施設のケアマネさんは、割と深刻に考える人だから・・・。
今のまま薬を飲ませろって。
次回は12月28日に診せに来いってさ」と答えました。
「12月28日かあ・・・。
年末の忙しい時期だから、連れて行くのも大変かも」とわたしは呑気に答えたのですが・・・。

11月下旬になって、事態は急展開することになります。

(長くなったので、続きは別の記事にします)