まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

ドネペジルを服用してから義父の認知症は急激に進行しました~その2~

11月下旬、施設から義父が部屋で尻もちをついて倒れた状態で見つかった、
と連絡がありました。
カーテンを引っ張ろうとして体重を支え切れなくなり、尻もちをついたようだ、
「痛い、痛い」と言うので後で様子を見に行ったけれど、
もう自分が転んだことすら忘れてしまっていた、と言う内容でした。

その翌日、今度は施設付きの看護師さんから連絡が来ました。
「いつから」とははっきり言えないが、問題行動が激しくなっている、
欠食はほぼ1日おき、食べた日の翌日はまるきり食べず、
ある時は部屋のイスに座ったまま無表情で宙を見つめてボーっと一日過ごしていたこともあった、
「〇〇寺(お墓がある寺の名前)に連絡しろ」としつこく言うので理由を尋ねると、
自分はもうすぐ死ぬから葬式の準備をしてもらいたい、
死なないならあんたが殺してくれ、
殺してくれないのなら自分で死ぬまでだ、などと希死念慮が一層強まっていることを思わせる発言をする、
そして右手で左手の爪の周りを全部ひきむしってしまう・・・などなど。
左手は一部化膿してしまったので皮膚科へ連れて行くように、
また、12月の通院日を待たずに早急に精神科を受診するようにと指示され、
その他に「こちらの施設での受け入れ継続は困難」だとやんわりと言われました。
わたしは「ドネペジルの服用で活性化したのが原因かもしれないので、
服用を一旦中止してください」とお願いしました。
副作用が出た場合、服用を中止させるようにと医師から指示されていたからです。
しかし「家族の指示で服薬を中止させてよいと薬状に記載されていません。
ですから、勝手に服用を中止させられません。
主治医の先生に連絡して、服用を中止させてよいか指示をいただいてください」とのことでした。
そこで病院へ連絡しましたが、生憎土曜日で主治医は不在でした。
病院の看護師さんと薬剤師さんに事情を話し、ドネペジル中止との指示をもらったため、
その日から服用を止めることになりました。
お休みで家にいた夫が車に乗せて皮膚科へ連れて行きましたが、
そちらは大したことはなく、抗生物質入りの塗り薬を処方されたとのことでした。
「お前、車で来たのか?
それなら、すぐ連れて帰れ!」義父は夫に呂律の回らない口調でそう言ったそうです。
「ものすごく痩せてなかった?」夫に尋ねると、
「前から痩せてたから。変わりなかった」との返事でした。

精神科受診は11月30日。
奇しくも施設に入所してから、ちょうど2年目に当たる日でした。
わたしはまたまた仕事の会議(水曜日に大きな会議が時々入るのです)と重なったため、
夫が年休を取って付き添うことになりました。
わたしは気になって、受診日前日の昼休みに様子を見に行くことにしました。

すると、施設付きの看護師さんに玄関先で捉まりました。
看護師さんの話が、ケアマネはあくまで介護職であり医療に関しては素人だから、
これから先は家族との連絡役は看護師がしたい、
ケアマネの話には耳を貸さないようにして欲しい、ということだったため、とても驚きました。
入所以来中心となって義父の世話をしてくださっているケアマネさんのことをとても信頼していたのと、
最近辞めた看護師さんの後に来たその方の目が、
何とも言えないほど意地の悪そうな感じに見えたからです。
「あのケアマネは確かに熱いひとですけどね、
医療に関しては素人ですから。
あのひとの意見に耳を貸すと、振り回されることになるので注意してください」

義父が入っているフロアに行くと、ケアマネさんがやって来て、
「良かった、お嫁さんが来てくれて!」と言いました。
ケアマネさんの話によると、看護師さんから「家族と話さないように」と言われ、
皮膚科受診の後で夫に義父の様子について話したかったのに、
同席することも許してもらえなかった、
ぜひお義父さんの様子を見てください、とのことでした。
「部屋から一歩も出ない、とベッドで横になってるので様子を見に行って、
起きるのを促すために布団をめくってみたら、オールヌードで寝てたりしたんです。
食事も食べないし・・・体重の変化は1キロくらいなんですけど、
うんと痩せた感じになりました。
傾聴しようとしても、すぐに『死ぬところだから』とか『死んでやる』だとかいう話になってしまって・・・」
いつも明るくてちょっとふくよかだったケアマネさんは、
いつになく暗い表情をして、だいぶやつれた感じになっていました。
「お義父さまのことが、わたし、気の毒で・・・。
でも、どういう風に接しても、ダメなんです。
ここはごく一般的な介護付き老人ホームなので、介護には限界がありましてね・・・。
つい先日も、入院なさった方がいたんです・・・。」

義父は部屋のベッドで横になっていました。
「コウセイさん、お客さん来ましたよ」ケアマネさんが明るく声を掛けると、
義父は不機嫌そうに眉根にしわを寄せたまま、
「あ~ん?」とこちらを向きました。
その顔が骸骨のようになっているのに、わたしは驚きました。
「とびっこが取れない。取ってくれ!」
義父は口を大きく開け、奥歯に指を突っ込みながら、
大声でわめきました。
(昼ごはんに「とびっこ」と呼ばれる、小さな魚の卵をたくさん食べた後だったのです)
「じゃあ、歯磨きしましょうか」とケアマネさんが歯ブラシを持って来ると、
義父はベッドの上で足をバタつかせながら、
顔全体をグシャグシャにし「嫌だ!嫌だ!取ってくれ!」とわめき続けました。
その顔は、ボランティア先で何度となく見た、
認知症が進んだ方と同じ顔でした。
ケアマネさんは歯ブラシを諦め、「うがいしましょう」とコップを持ってきたので、
わたしは「コウセイさん、お手伝いしますから、起きましょうか」と義父を起こそうとしました。
布団をそろそろとめくると・・・義父の脚は太ももまではっきりと骨が分かるようになっていました。
それは、わたしの父が亡くなる直前と同じ感じでした。
義父はケアマネさんからコップを受け取ると水を口に含みましたが、
「うがいする」意味が分からず、どうしても飲んでしまうのでした。
「ブクブクしてみてください、とびっこ取れると思いますから」
何度そう言われても、ただ水を飲んでしまうのでした。
そして、水を飲み終えた義父は「とびっこが取れない!取って!取って!」
と、大きく開けた口に指を突っ込み、顔全体をグシャグシャとゆがめながら、
いつまでも訴え続けるのでした。

帰宅した夫に、その日見たままを伝えました。
そして、「決断するのは身内の役目だからわたしは何にも言えないけどね、
あれが自分の父親だったとしたら、病院に入れると思うよ。
ケアマネさんも言ってたけど、あそこの施設で対応できるレベルではなくなってると思う」
と夫に言いました。
9月半ばからの出来事、施設側から言われたことなどをメモにまとめ、
通院日に夫に渡しました。
その日の診察では義父への質問等は全く無く、
主治医はわたしが作ったメモをカルテに書き写していたそうです。
そして、義父は今週後半からまた、精神科病棟へ3か月の予定で入院することになりました。

施設に様子を見に行った義母は、
「混乱して訳が分からなくなるんだって言われたけど、何のことだか訳が分からない。
一体、何のことなんだか」と言っていました。
最後の通院の帰りに夫が運転する車の中で義父が暴れたため、
危険を感じた夫は信号待ちの間にシートベルトを外したそうです。
運転しながらふとバックミラーを見ると、
後部座席で義父はパンツまで脱いで下半身裸になってしまっていたそうで。
そんな状態まで認知症が進行してしまっても、
義父は義母の前でだけはしっかり(いつもに比べてではありますが)して見せるのです。
1か月分、いや、2,3か月分くらいの元気と頑張りをすべて前倒しして、
義母にだけは情けない自分を見せないようにするのです。
「なんだ、お前、来たのか」ふんぞり返りながら、義父はそう義母に言ったそうで。
尊大で威張りくさった、家にいた時と同じ様子で義母に話をしていた義父は、
義母が帰った途端にスイッチが切れたようになり、
ベッドで力なく横たわったまま、呼びかけにも反応しなくなってしまった、と
ケアマネさんが驚いていました。
いつもこんな具合ですから、義母だけは義父のひどいところを一切見ることがなく、
いつまで経ってもわたしたちの話を他人事みたいに聞いていられるのですね。
義父と義母とは永遠のライバル関係だからなのでしょうか。
夫婦って、本当に良く分からないものですね。

長くなりましたが、そんなこんなで、
義父は2年前にも2か月間お世話になった精神科病棟へ
また入院することになりました。

生きる意欲が失せてしまったので、義父はあまり長くないかもしれません。
ここから先は余計な口出しは出来るだけしないようにして、
義母に「最後はわたしが面倒を見た」という
満足感を持たせられるようにしていかなければ、と思っています。