まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

2か月に一度の通院日

昨日は義父の通院日だった。
昨年9月の入院以来ずっと通っている精神科に
診察開始の30分前に診察券を出しに行ったら、
18番目だった。
前回はほぼおなじ時刻に出しに行って12番目だったはずだから、
やはり冬場になって精神的に不安定になる人が多いのだろう。

出来るだけ待ち時間が短くて済むように、
施設に迎えに行く。
義父は職員さんに付き添われて玄関で待っていた。
前かがみの痩せた身体に中綿の入ったベージュのジャンパーを羽織り、
ゲレーの正ちゃん帽を被った義父を何より認知症の老人っぽく見せていたのは、
その何の表情も浮かんでいない顔だった。
昨日の義父は天気のせいもあってか(認知症の老人は天気の悪い日は調子が悪い)
非常に状態が悪かった。
「コウセイさん、さあ、車に乗って病院へ行きましょうね」
ケアマネさんがそう声を掛けても無表情なまま、
歩き出そうともしなかった。
腕を取って促されると義父はようやく覚束ない足取りで歩き出した。
そして、運転席の後ろの席(ここだけチャイルドロックを掛けてある)にドカッと座り込み、
隣の席の娘のことをチラっと見、あとは一瞥もせずに反対の方を向いてしまった。
車が走りだしても義父は終始無言のままだった。
車内には異様な臭いが充満していた。
「歯磨きもさせてますし、マウスウォッシュも使ってるんですが、
ひどい口臭が消えないんですよね」
出発前にケアマネさんが言っていたのはこのことだな、と思った。
何かの刺激になれば・・・と、いつもは聞かない地元のAMラジオをつけた。
地元のきつい訛りそのままの農協やカーディーラーのCMがどんどん入ったが、
義父はこれにも全くの無反応だった。

わたしが時間を読み違えてしまい、病院に着いた時にはすでに診察順が過ぎていた。
「すぐ血圧と血糖値を計りますから来てください」
そう言われて義父に声を掛けたが、全くの無反応。
「コウセイさん、順番ですからこちらにいらしてください」
そう声を掛けて初めて義父はゆっくりわたしを見、
それから自分を指差して「ん?ん?ん?俺のこと?」と訊いた。
計ってもらっているところを外から見ていたが、
イスにどっかりと座った義父はやはり無表情なまま、
看護婦さんに「久しぶりですねえ、コウセイさん」などと声を掛けられても、
どう返事をしたらいいか分からないという風でもなく、
ただ黙って座っているだけだった。

しばらくして診察室に入った。
義父は部屋に入ってもただぼんやりと立っているだけだった。
先生の真ん前の椅子を指して、「ここへお掛けください」と言うと初めて座った。
先生が「久しぶりですね、コウセイさん、お変わりありませんか?」と尋ねたが、
その時にはもう義父はズボンのゴムのウエストから上衣を引っ張りだそうとしていた。
「ああ、コウセイさん、別に脱がなくていいです」先生が苦笑交じりに言った。
「コウセイさん、どうですか、夜はよく眠れてますか?」
「・・・ああ、はい」
「ご飯はどうですか、美味しく食べてますか?」
「・・・ああ、はい」
「何時頃起きてますか?」
「・・・ああ、いや・・・八時・・・ごろ・・・ですかね」
「じゃあ、何時頃寝てますか?」
「八時半とか・・・九時・・・ですかね」
それから先生はわたしの方に向き直って、カルテを見ながら
蜂窩織炎になったんですか?」
と尋ねたので(この時のことはhttp://blogs.yahoo.co.jp/joy_spring2010/13493597.html)、
わたしは診察のことなどを書き留めているノートを見ながら、
手短に経緯を説明した。
「はあーん」先生は気のないような返事をして、
「施設側から何か話がありましたか?」と言った。
それで、施設側から出掛けに渡されたメモを見ながら、
「不穏時には、普段就寝前服用として処方されている薬を夕食後服用させていいでしょうか?」
と尋ねた。
先生の答えは「セロクエルだけ。リスミーはダメだな」だった。
次に「来月介護保険証の更新時期なので、主治医の意見書をお願いしたい」と言ったら、
「別に、そんなのは自動的に送られて来るんだから、こちら側が何かするもんじゃないだろう」。
「これは家族としての質問なのですが」と前置きして、
「義母がテレビ番組などを見て『じいちゃんはうつ病だ』とか『てんかんだ』などと言い、
認知症ということをどうしても認められずにいるため、
後々義母とわたしたち夫婦との間に遺恨として残ってしまいそうで困っています。
そういう家族への対応をどのようにしたら良いでしょうか?」と尋ねたら、
先生は「セカンドオピニオンでしょうね。
そうやって診てもらって、そっちの方がいいってことなら、どうぞあとはそちらで診てもらってください、
とまあ、そういうことですな」と言った。
その口調があまりに嫌味で皮肉たっぷりだったので、
わたしは内心びっくりしてしまった。
そういう会話の間も義父は無言のままだった。
ただ椅子にトポンと座っているだけだった。

診察が終わって会計と薬のためにまた待たされた。
待合室が込んでいたので、わたしと娘とは壁際に立っていた。
すると、突如義父が立ち上がったので、わたしは急いで近づき声を掛けた。
「お会計や薬がまだですので、もう少し掛けてお待ちくださいね」
すると義父は「今日は、ここに、俺は診察で来たんじゃないのか?」と言って
ズボンから上衣を引っ張りだしそうにしたので、
「さっき、今日の分の診察は終わったんですよ」と答えると、
義父は混乱したような顔をして「今は・・・9月・・・だっけか?」と言った。
「いえ、今は師走、12月です」と答えたのが聞き取れなかったのか、
「そうか、2月か」と言うので、わたしがもう一度「12月なんですよ」と言うと、
義父は泣き出しそうな顔をして
「ああ、俺、もうダメだ、こんなに訳が分からなくなってしまったもの」と言った。
「不安になってしまったんですね、でも、大丈夫ですから」
と言いながら義父をまた座らせたが、周りの人々の顔には気の毒そうな表情が浮かんでいた。

帰りもまたAMラジオをつけたが、義父は終始無言のままだった。
去年の今ごろは、「家に帰ったらまずお茶・・・いや、酒だ、酒がいいな」などと、
診察が終わったら家に帰れると一人誤解してウキウキしていたんだっけなあ、
たった一年でこんなに進んでしまったなあ・・・と、
バックミラーで義父の正ちゃん帽をちらちら見ながら、
わたしは何とも言えない気持ちになっていた。

施設に着いたが、雨降りだったので、わたしは娘と義父を玄関前で降ろした。
さて、車の向きを変えて・・・と思って玄関の方を見ると、
義父がわたしに向かってお辞儀しながら手を振っていた。
夫と結婚して25年、義父に手を振って見送ってもらったことなど一度も無かった。
義父は今日一日わたしのことを、親切な他人だと思っていたのだろうな、と思った。

次回の通院日は来年2月10日である。
雪のシーズン真っ只中、運転するのが怖いなあ。