まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

義父の認知症は段々進んでいます。

通院記録、久しぶりの更新です。

義父は昨日、2か月に1度の精神科への通院日でした。
娘に頼んで一緒に付き添ってもらうことにし、
施設へ自家用車で迎えに行きました。

久しぶりに会った義父はいっそう痩せて、
ますます能の「翁」の面に似ていました。
昨日は調子が良かったらしく、わたしを見た途端笑顔になっただけでなく、
娘にも「わざわざどうも」と笑顔でぴょこんとお辞儀をしました。
これまでに何度か娘に付き添ってもらっていましたが、
義父は娘のことを「知り合い」と認識することも出来ず、
固い表情のままうつむいて決して目を合わせようとしなかったのです。

病院へ向けて車が走り出すと、義父は何事か話そうとしました。
でも・・・何の話なのか、全く分かりませんでした。
運転しながら一生けん命聞き取ろうと頑張ったのですが・・・。

病院へ着くと、義父が入り口に掲げられた病院の名前を、
ぽつりぽつりと、でも正しく読み上げたので、わたしは、
読む力はそこそこ保たれているのだな、と思いました。
でも、2年前から入院もし、通院も何回もしているその病院に
「今日初めて来た」と義父は言いました。

病院は混んでいて、先に順番を取ってあったにも関わらず、
1時間以上待たなければなりませんでした。
でも、義父はひと言も発することなく、テレビを見るでもなく、
居眠りをするでもなく、ただおとなしく隣に座っていました。

診察室に入ると、主治医からいつもの質問がありました。
「どうですか、このところ、毎日どんな感じですか?」
「どうと言うと・・・ええ、まあ・・・家に帰ったので、相変わらずです」(←実際は2年近く帰ってません)
「そうですか。ご飯は食べていますか、食欲はありますか?」
「ああ、はい」
「今朝、どんなものを召しあがりましたか?」
「はあ・・・どんなものと言われても・・・
うちのばあちゃんが作った・・・まあ、いつものごはんです」
「ところで、コウセイさんは何年何月何日のお生まれでしたかね?」
「さあ~、何年だったか・・・」と言いながら、義父は助けを求めるように、
隣に座ったわたしの方を見ましたが、わたしが答えないので仕方なく、
「ちょっと・・・思い出せません」と答えました。
「昭和14年ですよ。3月生まれですから、もうお誕生日は過ぎてます。
おいくつになられたんでしたかね?」
「いくつ・・・さあ・・・いくつとは・・・」とまた義父はわたしをすがるように見て、
「なんぼでしたかなあ・・・」と弱弱しく笑いました。
「77歳ですね、コウセイさん。77歳になられたんですよ。
えーと、コウセイさんは学校の先生もなさってたんでしたっけねえ。
どこの学校にお勤めでしたか?働いていた学校の名前を教えてください」
「え~と・・・ああ、工務店の仕事はしてまして・・・。
スキー係・・・子供会・・・そんなものも・・・」
工務店のお仕事もですが、高校の先生も長年なさってたでしょう?
勤めていた学校の名前を、覚えてるのだけでいいですから、教えてもらえませんかねえ?」
「はあ・・・学校・・・いろいろです。あんなとこ、こんなとこ、いろんな学校・・・です」

質問が終わると、主治医はわたしの方に向き直って、
今までとは別人のような早口で言いました。
「文章構成力が相当下がって来ていますし、質問への回答もとんちんかんの見当違いです。
かなり進みましたな、これは。」
本人が隣にいると言うのに、「とんちんかん」とか「見当違い」とか言われて、
わたしはこわごわ義父の方を見たけれど、
義父は何も気付かない様子でただイスに行儀よく座っているだけでした。
「これから先、前までのような激しい不穏は収まるでしょうが、
それは良くなったからではなく、それだけ病状が進んだからだとご理解ください」
「これから先気を付けるべきものは、転倒事故でしょうか?」
わたしがそう尋ねると、医師は大きくうなずいて、義父に向かって大声で、
「コウセイさん、転ばないようにね。ゆっくり、つかまって歩いてくださいね」と言いましたが、
義父は返事もせずにきょとんとしていました。

昼ご飯に間に合うよう、義父をまず施設へ送ることにしました。
以前は「家に帰ったら、まず酒だな」などと帰り道ウキウキしたり、
見覚えのある風景に思い出話をしたりしていた義父でしたが、
半年くらい前から、もう何も話さずに車に乗っているだけになっていました。
「ああ、お天気になりましたねえ。ほら、お日さまがキラキラですよ」
「あ~、はあ~」
「今日から6月ですから。山もすっかり夏山になりましたでしょう?」
「はあ~、ええ」
昨日も会話にはなりませんでした。

施設で義父を下ろし、わたしと娘とは会計と薬の受け取りのため、
すぐに病院へ戻ることにしました。
ゆっくりゆっくり歩く義父を玄関まで送ろうと歩き始めたら、
義父がよろよろと向きを変えて後ろを向きました。
そして、車に残っている娘に向かって笑顔で手を振り、お辞儀をしたのです。
「ああ、名前こそ思い出せなかったけれど、自分の孫娘だと今日は分かったのかもなあ」
そんな風に思って、ちょっと泣きそうになりました。

それからおよそ30分後。
わたしと娘とは薬を受け取って施設に居ました。
受診時の様子などをケアマネさんに話していたら、
義父が歩いて通り過ぎました。
「コウセイさん、お嫁さんとお孫さんですよ」とケアマネさんが声を掛け、
義父はわたしたちの方に目を向けたのですが、その顔にはもう何の表情も浮かびませんでした。
たった30分の間に状態が変化して、わたしたちが誰なのか全く認識出来なくなっていたのです。

でも・・・。
笑顔で娘に手を振ってくれた義父、それを娘に見せられて本当に良かったです。
昨日のあの義父の姿を、娘はきっといつまでも忘れずにいると思います。

次の通院日は7月。
奇しくも亡くなったわたしのとうさんの誕生日に当たる日です。