まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

言わなきゃ良かった

朝から実家で義母のあいさつ回りに付き合っていた夫が帰宅、
「言いづらいことなんだけどさ・・・」と話を切り出した。

義母から年末の工務店の大掃除の手伝いを頼まれた、
それから、元旦に年始の客が来るから、そのお茶出しの手伝いをしてくれないか、
と言うのである。

今年のお盆に、義母は今回とそっくり同じことを言い、
帰省していた息子を手伝いに呼んだ。
そして、息子の目の前で来る客来る客に、
「じいちゃんが入院しなければならないようなことになったのはヨメのせいだ」とわたしの悪口を言い、
対して自分は前々からちゃんと「じいちゃんがおかしいと分かっていた」だの、
まあ、面白いくらい事実と全く違うことを機嫌よくしゃべりまくったのだ。
客が帰ったあと、息子は「事実と違う」と義母に抗議したそうなのだが、
義母には「言われもなく母親を悪く言われた子供は気を悪くするもの」ということが理解出来なかったようで、
「あははははは~」と笑って誤魔化し、
「また手伝いに来てね」と平気で息子に言ったそうだ。
「悪いけどね、わたしは、もう二度とおばあちゃんの手伝いしに行かないからね!
就活でも理由に断ってよ!」と、普段穏やかな息子が珍しく帰宅後怒っていた。
夫にその話をしたら、夫は「あいつ(=義母)の肩を持つ訳じゃないけどね、
あいつは決して悪気はないんだ、悪いこと言ったとしても、性格は悪くない人なんだ。
ただ、田舎の人だから言い方が下手なのと、
『ええカッコしい』みたいなものなのか、自分のことだけ良く言ってしまうクセがあるだけなんだ」
と言ったのだ、まあ、予想はしてたけど。

「悪気はない」を免罪符に、義母は好きなことを好きなように言って来た。
息子が小さかったころに言われたことが原因で、
わたしは家で何度か過呼吸の発作を起こしたこともある。
でも、「悪気がない人」に罪はなく、「神経過敏な人」の方に問題があると、
夫はそういうスタンスであった。

年を取って義母の「悪気はない免罪符」はますますひどくなって来た。
義父のいる施設に「面会はちょっと・・・」と言われていても、
「近くまで来たから」と言って押しかける。
「お風呂の関係があるので、この時間に来て下さい」と言われていても、
「早く着いたから。別に構わねべ?」と30分以上早く行く。
そのたびに、施設のケアマネさんから「お義母さんのことなんですが・・・」と電話が来て、
わたしが平謝りしなければならなくなる。

その挙げ句、来客に「ヨメのせいでじいちゃんが・・・」である。
わたしは元旦に手伝いに行くのはまっぴらだと思った。
その前に、そういうことを言っておいて(しかも、わたしの息子の目の前で!)
悪びれた風もなく「手伝いに来い」と言える神経が信じられなかった。
だから、夫にそのままを言ってしまった。

夫は面白くない!という時に見せる凍り付いたような表情を浮かべて、
「申し訳ありませんでした。わたしからお詫びいたします」と
テーブルに頭をすりつけんばかりにして謝った。
でも、実は、内心わたしに対して激しい怒りを覚えていることは長年の付き合いですぐ分かったし、
義母に対しても、激しい怒りを抱いていることは一目瞭然だった。
「ちょっと実家に行っておふくろに話して来る」
そう言い残して、夫は車で出掛けてしまった。

「悪気がない、が免罪符になると思ったら大間違いだから」
わたしは夫にそう言ってしまった。
結婚以来義母に対して言いたかったことではあったのだが、
「ようやく言ってやった」というような爽快感は微塵も浮かばず、
わたしの心の中は苦い悔恨でいっぱいになっている。

「あなたの言葉は俺の心を傷つける。
あなたと話すのが俺は怖くなってしまった」
言葉を選びに選んで、オブラートに幾重にもくるんだような話し方をしてさえ、
わたしは夫にそんな風に言われていたのに。

言わなきゃ良かった。
限界まで我慢するべきだった。