まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

風化しないうちに・・・でも、風化してないだけに・・・~あまちゃん~

今週放送分から、ついに「3.11後」を描くことになった「あまちゃん」。
わたしの予想とは大分違っていたことを正直に告白する。
わたしの予想では、北三陸の人たちの中の何人かは
犠牲になってしまうのかと思っていた。
そのショックで一旦は壊れかけてしまうアキが、
立ち直り、改めて地元アイドルとして郷土の復興に力を尽くす様子を描くのかと。
 
でも、全く違った。
地震津波の描写はジオラマを使って。
東京での様子もさらっと描写し、北三陸の方々は全員無事で。
たった二日分の放送で、震災後1ヵ月以上経った部分まで話が進んだ。
初めは、「えっ???」と思った。
でも、これでいいのだ、むしろこれしか描きようがないのだ、と思った。
 
震災後まだ2年半しか経過していないのだ。
身内を亡くした人の悲しみ、
津波の恐ろしさ、揺れの激しさ、真っ暗な夜の心細さ・・・。
そういったものを、ちょっとでも感じさせてしまえば、
トラウマが蘇ってしまう人たちが画面の向こうに数えきれないくらいいるのだ。
地震では停電しただけで、直接的な被害はほぼ受けていないわたしでさえ、
昨日の放送分で小野寺ちゃんが仙台の両親の無事を確認して号泣する場面を見て、
仙台の実家にようやく公衆電話がつながり、父の元気な声を聞いたときのことが
鮮やかに蘇ってきてしまい、テレビの前で泣き崩れてしまうほどだった。)
東日本大震災とは、まだまだ人々の心の傷が癒えていない、
非常にデリケートで扱いに細心の注意と最大限の配慮が必要なテーマなのだ、
ということに今更ながら気付かされた。
 
でも。
でも、である。
一方で東日本大震災というものは、
確実に人々の記憶から消え始めている。
唯一人々の記憶から消えずにいるのは「フクシマ」だけであろう。
今も苦しんでいるのは「フクシマ」の人々だけ。
支援が必要なのも「フクシマ」の人々だけ。
ほかの場所の人たちは震災後二年半を経過して、
何とか立ち直り、生活を立て直すことに成功している・・・。
東北地方以外の人たちはそんな風に考えているのかもしれない。
いや、東北地方の人たちでさえも、被災地以外の場所の人たちは、
そんな風に考えているのかもしれない。
震災後あんなに盛り上がっていた支援の機運も、
すっかり熱が冷めてしまった感がある。
今では人々の興味関心は、またしても日本経済の先行きと、
自分たちの収入が上向きそうかどうか、それだけになってしまったかのようだ。
・・・などと偉そうに書いてるわたしだって、
仙台出身のくせに、継続して募金に協力している訳ではないもんな。
今では募金箱を見かけたときに、小銭を入れる程度になっちゃって。
(一応、「国境なき医師団」と「ユニセフ」には毎月口座引き落としで募金に協力中だけど。)
お恥ずかしい限り。
 
今後の「あまちゃん」がどう展開していくのか。
「あの頃」のことを思い出しながら、注意深く見続けて行こうと思う。