まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

救急車を見るたびに

緊急走行を知らせるサイレンを聞き、
 
赤色回転灯を点灯して走る救急車を見ても、
 
以前は何も感じなかった。
 
でも、今はちがう。
 
皆にとってはいつも通り、何と言うこともないその瞬間が、
 
あの中に乗っている人とその家族や知己にとっては、
 
大変な闘いの始まりであったり悲しみの始まりであったりすることに 
 
思いを致さずにはいられない。
 
そして、いつもいつもとうさんのことを考える。
 
湯船に顔を浸けて意識を失っているかあさんを見つけたとうさんが、
 
あの晩どんなに必死の力を振り絞ってかあさんを湯船から引き上げ、
 
必死の思いで心臓マッサージを施したかを。
 
必死の手当が功を奏さないと見て取ったとうさんが救急車を呼び、
 
その車内で処置を受けるかあさんをどんな気持ちで見守っていたかを。
 
国立病院へ搬送されたかあさんが半時間に渡って救命措置を施されていた間、
 
どんな気持ちで待っていたのかを。
 
「さっきまで元気にしていたんだから・・・きっと大丈夫だ、意識だって戻るだろう。
 
元気になった後は、今夜のことだって笑い話になるだろう。
 
これから先は、今までより一層健康かどうかに気を配ってやらなければ・・・」
 
きっとそんな気持ちで朗報を待っていたのに違いない。
 
でも、やがて医師がやって来て・・・。
 
とうさんは悲しみの深い深い奈落の底へと突き落とされることとなった。
 
あの晩、国立病院へ向かって疾走していた救急車に乗っていた時間は、
 
とうさんが希望というものを抱けた生涯最後の時間だったのだろう。
 
検死のために向かった警察署で合流しとうさんの顔を初めて見たときのこと、
 
そしてそれから半年の間に起こったことを考えると、
 
わたしの心の中に悲しみがどんどん溢れて来てたまらない気持ちになる。
 
とうさんも亡くなって早や1年半近く。
 
緊急走行する救急車を見るたびに、
 
何の役にも立たないこととは知りつつも、
 
心の中で祈るような気持ちになるのを止められないのだ。