まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

Mちんのこと

統合失調症」という言葉を見聞きするたび、
心の奥がずきん!と痛む思いがする。
 
Mちん。
元気でいるんだろうか。
病気は少しはよくなっただろうか。
薬でコントロール出来るくらいに。
 
Mちんは中学2年のときのクラスメイトだった。
いつも上機嫌で朗らかで、ちょっと不良っぽかったMちん。
おしゃれや芸能界ネタが大好きな、ごく普通の女の子だった。
・・・ということは、わたしとはそんなに接点がなかった、ということ。
そうは言っても中2のときのクラスは、信じられないくらいいいクラスだったから、
(いまだに時々クラス会を開いてるのは中2のクラスだけ。)
Mちんとも、仲良し、というほどではなくても、ごく普通に付き合っていた。
 
そして3年に進級。
わたしとMちんとはクラスが別々になった。
しかし、Mちんは休み時間になると「トイレ付き合って」とか、
「購買付き合って」とかいろいろな理由をつけてわたしを呼び出すようになった。
どうしてなのか不思議に思ったけれど、断る理由もないから、いつも付き合ってあげた。
そのうち、Mちんは帰りも一緒に帰ろうと言い、昇降口で待ってるようになった。
わたしとMちんの家は全くの反対方向で、一緒に歩けるのなんて、
ほんの数百メートルもないくらいだったのに、Mちんはいつもいつも待っていた。
わたしは同じ方向に一緒に帰る友達がいたけれど、
Mちんはみんなと一緒は嫌だと言うので、わたしは途中までMちんと歩き、
ちょっと先で待っててくれるみんなに走って合流するのが日課になった。
休み時間や帰り道、Mちんは小声でひそひそと話をした。
それによると、みんながMちんのことを悪く言うので、クラスの中は敵だらけなのだと言う。
廊下を歩いていても、誰かとすれ違ったあとですぐ、Mちんは
「今の聞いたでしょう?あたしのこと、ブスって言ったの?」とか、ひそひそする。
それがだんだんとひどくなっていった。
Mちんは、わたし以外の人が信じられなくなった、と繰り返した。
気が付くと、Mちんの制服の肩はフケで真っ白、
髪の毛は一体いつ洗ったのか分からないくらい脂ぎってベタベタだった。
いつも笑顔で朗らかだった表情も、眉根にシワが寄り、
いつも思いつめたような表情に変わっていった。
「なんだか・・・Mちん・・・おかしい・・・。」
Mちんと話していても、どことなく噛み合わないような不思議な感じがするようになった。
そのうちに独り言を言いながら笑ったり、ちょっと不気味ささえ感じるようになっていった。
 
そんなある日、職員室に呼ばれた。
中2のときの担任だったO先生が憔悴し切った顔でわたしに尋ねた。
「お前さ、Mと仲良くしてやってくれてるだろ?
ズバリ聞くけど、Mのこと、どう思う?」
その頃にはもう、Mちんはまるで「別の世界のひと」みたいに感じられるくらい、
表情も、話す口調も内容も、何から何まで付いていけない人になってしまっていた。
「・・・Mちん、はっきり言って、おかしいと思います。
おかしいと言うか、去年までのMちんとは別人になってしまってます・・・」
 
先生に話したあと、Mちんは間もなく学校に来なくなった。
「頭がおかしくなったんだってさ。」
みんなは面白おかしくそう噂し合った。
友達は「Mちんに付き合わされてさ、大変だったよね。」と同情してくれたけど、
わたしの心の中は後悔で一杯だった。
「わたしがもう少しなんとかしてあげられたんじゃないか?」
先生からは、Mちんについて、何の話もなかった。
ただ、生徒同士の噂話が聞こえてくるだけ。
結局Mちんは卒業式にも来られなかった。
高校に進学することもできなかった。
「精神病院に入院していて、なかなか出てこられないらしい」と風の噂で聞いた。
 
大学に入って心理学を勉強してやっと、
Mちんの不可解な言動が統合失調症の典型的な症状だったことを知った。
そしてそれが決して珍しい病気ではなく、100人に1人くらいの割合で発症する、
非常にポピュラーな病気であることや、
「友達の友情」程度でどうにかなるものではないということも。
でも、それまでの数年間、わたしはずっと心の中で、
「わたしがあのとき余計なことさえ言わなければ、
Mちんは普通に学校に来られてたんじゃないか?」という気持ちを引きずり続けていたのだった。
 
今週末、また中2のクラスのクラス会がある。
でも、今までと同じように、Mちんのことは、
きっとタブーみたいな扱いで誰もMちんの名前を口にすることもないのだろう。
・・・Mちん。
完治することはないと知ってはいるけれど、
Mちんの病気が薬でコントロールできるくらいになっていて、
Mちんなりの幸福が訪れることを祈ってるよ。