まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

戦争未亡人

用事のついでに、93歳になる、夫のおばあちゃんに夫と娘とわたしの三人で会ってきた。
最後に会ったのはいつだっただろう。
東京へ転勤する前にあいさつに行ったときだから、かれこれ7年前のことだろうか。
おばあちゃんは、知らないうちに老人ホームに入っていた。
土地のなまりのきつい言葉で、2割くらいしか言ってることは分からなかったけど、
わたしや娘の手を握って「よく来てくれた。」と涙をこぼさんばかりに喜んでくれた。
「生きてるうちにもう顔を見ることは出来ないのかと思っていたが、思いがけず来てもらえて嬉しい」
というような意味のことを繰り返し言ってたのだと、後から夫に聞いた。
いつ行っても本当に喜んでくれるおばあちゃん。
自分の本当の孫である夫のことだけでなく、孫の嫁にすぎないわたしのことも。
 
おばあちゃんは夫の母方の祖母だ。
戦争で夫を亡くし、女手一つで3人の子供を育てた。
おばあちゃんの旦那さん(夫のおじいちゃん)は、昭和19年に召集され、
昭和20年4月にフィリピンのルソン島で戦死したそうだ。
町役場で働いていた旦那さんを亡くしてから、おばあちゃんは畑を耕し、必死で作物を作って、
何とか子供たちを食べさせた。
夫のお母さんは「すごい貧乏暮らしだった」とその頃のことを言う。
実際暮らしは非常に苦しく、夫のお母さんはものすごい苦学をして教員になったらしい。
そんな貧乏暮らしが長かったにも関わらず、夫のおばあちゃんは物腰の柔らかい、穏やかで優しい人だ。
「貧すりゃ鈍す」と言う言葉もあるのに、どんなことにも「ありがたい」と感謝し、
他人の悪口を言ったりすることもなく、ニコニコと暮らしている。
すごいなあ、と思う。
素敵だなあ、と思う。
 
「あんなにいいおばあちゃんがいて、あなたは幸せ者だよ。
おばあちゃんが元気なうちに、家族四人で行って喜ばせてあげよう。」
学校の行事で行けなかった息子も、受験が終わったら一緒に連れて行こうと夫と話しながら帰ってきた。