まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

「窓ぎわのトットちゃん」の挿絵をわたしはあの人に描いて欲しい。

長谷川摂子さんの「子どもたちと絵本」を読んでいる。
長谷川さんは、わたしの大好きな絵本作家さん。
惜しいことに、先年66歳で亡くなられた。
東大の大学院まで進まれた方なのに、
公立保育園で保母さんをなさってたことがあるという、
とても変わった経歴の持ち主だ。
長谷川さんの文章には、音楽がある。
リズムがとても心地よく、無理がない。
そして、哲学を専攻なさった方だけあって、
非常に透徹なものの見方をなさる方だと思う。
「子どもたちと絵本」は、長谷川さんが保母さんをなさったり、
ご自身も母親になられたりして得た経験から書かれた、非常に面白い本だ。
 
この本の中に「『子どもってかわいい』と思う危うさ」という章がある。
ケイト・グリーナウェイと岩崎ちひろさんを取り上げて、
大人の目に映る、可愛らしい存在としてのみ子どもを扱う危うさを書いているのだが・・・。
それを読んで「あっ、そうか!」と思った。
 
黒柳徹子さんの「窓ぎわのトットちゃん」は、大学生の頃からのわたしの愛読書である。
この本に出てくる小林校長先生の子どもに向き合う姿勢が、
わたしが母親となり自分の子どもたちと接する上での何よりのお手本となった。
そんな大切で大好きな本なのに、
なぜか読むたびに何とも言えない違和感と言うか、物足りなさというか、
不思議な感情を覚えていた。
それは、この本に使われている、岩崎ちひろさんの絵によるものだったのだ!
黒柳さんはあとがきで、岩崎ちひろさんの絵を使うことができて本当に幸せに思う、
というようなことを書いておられるが・・・。
岩崎ちひろさんが描いた子どもたちからは、エネルギーが全く感じられない。
お行儀のよい、よそゆきの子どもたちばかりである。
弾けるように笑い、顔をクシャクシャにして鼻水を垂らして泣き、
好奇心とあふれるエネルギーの塊、というトットちゃんには、およそ似つかわしくない絵なのだ。
ああ、もし、林明子さんが挿絵を描いてくれたなら・・・と思った。
キャラメルの自動販売機の前であきらめきれずにいるトットちゃん、
泰明ちゃんと秘密の冒険をして汗だくになりながら笑うトットちゃん、
ロッキーにかまれても、ロッキーを必死でかばうトットちゃん・・・。
きっとこの本の魅力が何倍にもなるだろうに。