まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

今日はクリフォード・ブラウンの56回目の命日です。

毎年6月26日は、我が家ではClifford Brown Memorial Dayということになっている。
ラジオを聞く時間以外は、一日中ブラウニーのアルバムを流し続ける日。
 
あれはもう30年以上前のこと。
当時開局したばかりだったローカルFMを聞いていたら、
「マンハッタン・オプ」という番組をやっていた。
(題名から分かるとおり、夜の匂いのする大人の番組だった。)
勉強しながらラジオを聞いていたわたしの耳は流れてきた音楽にくぎ付けになった。
'What's New'。
ハスキーな女性ボーカルに続いて流れてきたトランペットの温かく優しい音色。
学校にも家庭の中にも居場所がなかったわたしのよれよれの心を、
そっとそっと包み込むようなその音色に、わたしは胸を打たれて聞き入っていた。
次の日、書店でエアチェック用の雑誌を調べまくり、
それがクリフォード・ブラウンヘレン・メリルの演奏だったことをつきとめた。
小遣いをはたいてクリフォード・ブラウンのレコードを2枚買った。
ウィズ・ストリングスと、ヘレン・メリルとの共演盤と。
それまでスティービー・ワンダーなどのソウルミュージック一辺倒だったわたしが、
その日からジャズファンになった。
 
以来今日に至るまでずっとジャズが大好きだ。
様々なアーティストの様々な演奏を聴き、気に入ったものも沢山沢山あるけれど、
わたしの中で最高のジャズマンと言えばクリフォード・ブラウン(とビル・エバンス)なのだ。
ブラウニーのトランペットから流れ出る、太くて優しい音色。
近年のジャズメンの中にはすごいテクニックを持った人が沢山いるし、
テクニックだけで言ったらブラウニーを凌駕している人もいるかもしれない。
でも、わたしの心には残念ながら今ひとつ響いて来ないのだ。
 
動画サイトで、なんと動いてしゃべるブラウニーの姿を見たことがある。
昔、アメリカでローカルテレビに出演したときのものらしいのだが、
そのブラウニーの話し方が想像していたのとちょっと違っていてびっくりした覚えがある。
わたしの中でブラウニーは完璧だというイメージが強く、
理路整然と話すようなイメージがあったのだが、全く違った。
そこにはまったく世間ずれしていない、善良で賢そうな若者がいた。
それにブラウニーは、本当にシャイだったのだ。
照れたような恥ずかしそうな笑顔で、朴訥と話すブラウニー。
ちょっと前に天才的な演奏をナマで披露したのと同一人物だとは信じがたいような・・・。
でも、「ああ、これがブラウニーの魅力の秘密なのだ。」と思った。
他人からいくら天才だとか、逸材だとか言われても、有頂天になったりしない賢さ。
もって生まれた善良な性格。
そういったものが天才的な演奏テクニックと一体になってはじめて、
ブラウニーの、あの温かく優しいトランペットの音色になるのだと。
 
ブラウニーがもっと長生きしてくれていたら・・・と本当に悲しく残念に思う。
たった26年の人生で2度も大きな自動車事故に遭ったブラウニー。
(1度目のときには、同乗していた友人を亡くし、自身も1年近い入院生活を余儀なくされた。
そしてその事故の後遺症で、肩が簡単に脱臼してしまうようになり、その痛みに終生苦しんだという。)
ブラウニーは神さまのラッパ吹きだったのかも、と思う。
神さまが地上に遣わされたのかもと。
でも、すぐその音色が懐かしくなり、天上へ呼び戻されてしまったのかもしれない、と
わたしは本気で信じている。