城山三郎著「そうか、もう君はいないのか」
時々、とうさんに会いたいなあ、と思う。
とうさんが急いであの世に行ってしまって3年ちょっと、
話したくなるような面白いことがたくさんあったのに。
とうさんの笑顔の写真の前に、
大好きだったお饅頭を供える。
チョコを供える。
キャンディを供える。
「ああ、チョコは旨いなあ。旨い、旨い」
病室でカーテンを閉めてこっそりチョコを食べさせた時、
とうさんがどんなに嬉しそうな顔をしていたか、
どんなに美味しそうに食べたかを思い出して、
わたしは笑顔になる。
そして、すぐに泣きべそをかく。
そんな時、わたしはこの本を読む。
主に経済小説の分野で活躍なさった方
(経済に暗いわたしは「官僚たちの夏」のドラマしか見ていない)。
その城山さんだが、73歳で最愛の奥さまをガンで亡くされた。
それからご自身が80歳で亡くなられるまで、悲しみと必死に闘いながら、
奥さまとの思い出をメモに遺された。
作家亡きあと、そのメモを元に出版されたのが、
この「そうか、もう君はいないのか」である。
「連れ合い」のことを、英語で「ベターハーフ」と言う。
「連れ合い」を亡くすということは、生きながら半身をもがれるのに等しいことなのだ。
この本を読んで、わたしは亡くなったとうさんの悲しみを思う。
五臓六腑の隅々にまで浸み通るほどの、堪えがたい寂しさを思う。
「お母さんが死んじゃった今、生きていたって一つもいいことなんかない」
そう繰り返していたとうさんの苦しみを、
あの時向かいで聞いていたわたしは何十分の一も理解していなかったのだと、
とても済まない気持ちになる。
城山さんの奥さまは、奇しくもわたしのかあさんと同じ「ヨウコ」さんだった。
その容子さんを亡くされた城山さんの慟哭。
>あっと言う間の別れ、という感じが強い。
>癌と分かってから四ヶ月、入院してから二ヶ月と少し。
>四歳年上の夫としては、まさか容子が先に逝くなどとは、思いもしなかった。
>もちろん、容子の死を受け入れるしかない、とは思うものの、彼女は
>もういないのかと、ときおり不思議な気分に襲われる。容子がいなくなってしまった
>状態に、私はうまく慣れることができない。ふと、容子に話しかけようとして、
>われに返り、「そうか、もう君はいないのか」と、なおも容子に話しかけようとする。
新潮文庫 「そうか、もう君はいないのか」 134~135頁より引用
その時城山さんはまだ73歳とお若かった。
そして、作家としてのお仕事も持っていらっしゃった。
娘さんが悲痛な気持ちで見守る中、血反吐を吐くが如き7年を生き抜かれた。
対して、とうさんは82歳だった。
「生きてたらいいこともあるよ、だからさ、おとう、もうちょっと頑張ろう」
そう言ったわたしにとうさんは、
「俺があと10年若かったらな・・・でも、俺にはもう頑張る元気も気力もない」
そんな風に言って寂しそうに笑ったっけ。
城山さんもとうさんも、あの世でヨウコさんと再び会えただろうか。
あんなにも恋い焦がれていた女房と、若返って幸せに暮らしているだろうか。
きっとそうしているよ、うん、そうだよ。
この本を読み終えると、涙でぐしゃぐしゃになりながら、
心の底からそう思う。