まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

クリスマスの思い出

とうさんがミッションスクール出身で、長らく母校で教えていた関係で、
わたしの実家ではクリスマスを特別なものとしてお祝いしていた。
11月のうちに、かあさんはりんごやらみかんの皮やらを細かく切り、
それをレーズンやナッツ類と一緒にブランデーに漬け込んでおき、
それをたっぷりと入れてフルーツケーキを焼いた。
そのケーキを楽しみにしている人が何人もいたので、
かあさんはパウンド型何本分もケーキを焼いた。
日持ちがするように、焼きあがったケーキにはハケでたっぷりとブランデーを塗る。
家の中はケーキの甘い香りとブランデーの香りとで、
まるで洋菓子屋さんのよう。
その匂いを嗅ぐと「ああ、今年もクリスマスが来るんだなあ」と感じたものだ。

もう一つ、クリスマスに忘れてならないものがあった。
それは、クリスマスツリー。
物心付いた時から、実家には小さなツリーがあった。
本物のガラス玉に、キラキラ光るラメがまぶしてあるボール紙製の鳥の巣箱、
モールみたいな素材で出来ているおかしな小人、白いひげのちょっと不気味なサンタクロース・・・。
わたしはずっとツリーの飾りつけをしたかった。
でも、「あんたが触ると壊れるから」と言って、いつも蚊帳の外だった。
毎年台所からはツリーの飾りつけをしている母と姉との楽し気なおしゃべりが響いたが、
わたしは隣の茶の間でひとり遊んでいるしかなかった。
しかし、飾りつけが済んだツリーを見ると、そういう面白くなかった気持ちは吹き飛んだ。
色とりどりのライトが点き、ガラス玉や鳥の巣のラメがキラキラしている様子を見ると、
「なんてきれいなんだろう!」と本当に胸が弾んだものだ。

ラジオからはクリスマスソングが流れていた。
とうさんは感激したような口調で「クロスビーは、たまげていい声だなあ」と言った。
とうさんもかあさんも外国の映画が大好きで、
クロスビーやローズマリー・クルーニーが出ていた「ホワイト・クリスマス」も見ていた。
「いやいや、あの映画に出てきたクリスマスツリーはすごかった。なあ、そうだったなあ?」
「ホントにねえ。いい映画でしたねえ」
「カーテンを開くと、窓の外がこう・・・ぱあーっと雪模様でなあ」
「そうでしたねえ」
時間はゆっくりと流れていた。
本当にゆったりと時が流れていたのだ、あの頃は。

気が付いたら、わたしは50近いおばさんになり、
両親はこの世のひとではなくなってしまった。
でも、クリスマスが近づくと、あの頃のことを思い出す。