まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

「さようなら」という詩

あさイチのプレミアムトークに、
谷川俊太郎さんが出ておられた。

わたしは、岩波文庫の「自選 谷川俊太郎詩集」を持っている。
その中に収められている「さようなら」という詩が大好きだ。


さようなら


ぼくもういかなきゃなんない

すぐいかなきゃなんない

どこへいくのかわからないけど

さくらなみきのしたをとおって

おおどりをしんごうでわたって

いつもながめてるやまをめじるしに

ひとりでいかなきゃなんない

どうしてなのかしらないけど

おかあさんごめんなさい

おとうさんにやさしくしてあげて

ぼくすききらいいわずになんでもたべる

ほんもいまよりたくさんよむとおもう

よるになったらほしをみる

ひるはいろんなひととはなしをする

そしてきっといちばんすきなものをみつける

みつけたらたいせつにしてしぬまでいきる

だからとおくにいてもさびしくないよ

ぼくもういかなきゃなんない

何気なく書店で手に取った本をぱらぱらとめくり、
この詩に出会ったときは、
ちょうど長男が大学進学のため家を出、
そのわずか2ヵ月後にとうさんを亡くした時期だった。
だからだったのだろう、この詩の中の「ぼく」が長男ともとうさんとも重なって、
わたしは心を激しく揺り動かされた。

誰もがいつかは旅に出る。
戻れる旅もあれば、二度と戻れない旅もある。
でも、心はずっとつながっている。
ずーっと、ずーっと。