まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

無分別な国民→わけも分からず行う投票で多数を得た者→独裁

ドキッとするタイトルでしょう?

実はこれ、1948年から翌年にかけて発行された、
新制中・高向け社会科教科書「民主主義 上・下」からの引用で。

毎日新聞2015年6月16日付け第3面「火論」によると、
かのノーベル文学賞受賞者大江健三郎さんが、
ちょうどこの教科書を使った世代とのこと。
占領下の日本で法哲学者らが作成した教科書には、
新しいシステムの下で国を担っていくことになる世代に、
分かりやすく「民主主義」を伝えようという意気込みが籠められていたようだ。

その中で「民主主義」は、
>人間を尊重する精神であり、自己と同様に他人の自由を重んずる気持ちであり、
>好意と友愛と責任感とをもって万事を貫く態度である。
と説明されていた。

そのように「民主主義」の長所を説明するだけでなく、
それが持つ落とし穴、即ちワイマール憲法下でナチスが台頭した例なども引き、
ただの「民主主義礼賛」にならないよう説かれていたらしい。
つまり、
>もしも多くの国民が政治は分からないと投げやりになれば、
>必ず策謀家らが現れ、と教科書は警告する。(「火論」より)
と言うことで、その次にタイトルに取った文章が先の教科書から引用されている。
>事実を曲げた宣伝をしたり、必要以上の危機意識を鼓吹したりして、
>一方的な判断によって無分別な国民を引っぱっていこうとする。
>そうして、わけもわからずに行う投票の多数を地盤として、
>権力をその手ににぎる。
>その結果は、きっと独裁主義になる。

68年前の学者たちが危惧したことが、
まるで予言のように現代の日本で進行中だとは思えないだろうか?

最近の日本の政治状況を見ていると、
数千年の歴史を経ても、未だに「パンとサーカス」なのかいな?とトホホな気持ちになる。
パンは「見かけだけの景気回復」ね。
そして、サーカスは当然、「東京オリンピック」で。
その二つがあれば国民は一応満足しちゃって、
あとのことは「良きに計らえ」、政治家に丸投げ・・・で本当にいいのかなあ。

少なくとも、わたしはそんなことしたくないな。