まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

「チャンス」を娘と見た

5月9日分が今ごろ代休になったため、
娘と「チャンス」を見た。
「グロリア」(もちろん、ジーナ・ローランズ主演のオリジナル版)と
「チャンス」をTSU○AYAで借りて来て娘に選ばせたら、
「チャンスが見てみたい」と言ったので。

「チャンス」はわたしの大好きな作品で、
子供たちを育てる過程で時々引き合いに出したりもして来た。
息子とは一緒に見る機会がなかったけど、
娘とは一緒に見ることになってうれしかった。

「チャンス」がどんな作品かザックリ紹介すると、
「チャンス」という名の壮年の庭師が、
雇い主(と言うよりむしろ所有者)の死によって生まれて初めて屋敷の外に出て、
そこでひょんなことから関わった大金持ちたちの誤解によって、
「次期アメリカ大統領候補」と噂されるほどの存在に祭り上げられてしまう物語。
・・・と書いてしまうと、何だかすごく生臭い物語みたいに聞こえるけど、
この「チャンス」という男性がまるで赤ちゃんのような人物なのだ。
汚れとか欲望とかいうような、俗なところが全くない。
そもそも、彼には苗字すらない。
読み書きも知らず、知っているのはただ庭師としての仕事だけ。
彼の唯一の楽しみ(楽しそうですらないのだが)はテレビを見ること。
いつ如何なる時にも、彼はテレビを見続ける。
そこに映し出されるものをただ真似てみたりもするのだが、
でも、それに毒されることもなく何の影響も受けない。
同じ屋敷にいたルイーズの言葉を借りれば「脳みそカラッポで、
おがくずが詰まってるようなただのバカ」ということになる「チャンス」なのだが、
その余りにも超然とした様はまさに「浮世離れ」としか言いようがないほどだ。

この「チャンス」を演じるのは「ピンクパンサー」シリーズでお馴染みの、
この人が「チャンス」を演じたことによって、
この一見ファンタジーみたいな物語にものすごい説得力が生まれた。
彼が雇い主のお下がりの服を着て(もちろん全て一流のオーダーメイド品)、
わに革のトランクを持って歩けばそれだけでひとかどの人物に見えてしまう。
みんなの言っていることが分からず口数が少なくなっているのは「ミステリアス」、
唯一知っている庭の話をすれば「含蓄のある例え話」という具合に、
周囲の人々が勝手に彼を誤解してしまうのだが、
でも、「チャンス」という人物自体が、実は「ただのバカ」とは思えないところを持っており・・・。
そういったものは作品の中でもちょこちょこと散見されるが、
特にラストでは衝撃的な形でそれが見ているわたしたちに提示される。

わたしはこのラストシーンが本当に大好き。
美大でデザインの勉強をしたい!と言ってる娘は、
このラストシーンに大いにインスパイアされたらしく、
見終わったあとすぐ、2、3枚イラストを描いていた。

この作品はピーター・セラーズの遺作となった。
そう言えば、この作品は滑稽さと静謐さと共に、
「死」の匂いが濃い作品である。
こういう表現が妥当なのか分からないが、
この作品から漂う「死」はなんだか温かく優しい。