まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

最後の一献

「マッサン」に触発された訳ではないが、
最近夫が晩酌にハイボールを飲んでいる。
父が亡くなったあと、実家を整理した際に出てきた酒を、
「あんたのとこでも少し持ってって」と言われてもらったものだ。
私立高の教員だった父のもとへ
子供のことで相談に来た保護者が持って来たもの。
ほとんどがウイスキーだ。
 
父自身は年を取ってからは焼酎しか飲まなくなっていた。
九州の物産展で買う麦焼酎とか芋焼酎とかをお湯割りにして、
母が用意してくれるつまみを食べながら飲んでいた。
普段は口数がそう多くない父だったが、
大きなグラスでお湯割りを1杯飲み終わる頃にはちょっと顔が赤くなり、
ニコニコしながら面白おかしくいろんな話をするのだった。
 
そうやって毎晩のように晩酌していた父だったが、
母が亡くなったあとピタッと酒を飲まなくなった。
独り暮らしの家で飲まないのは当たり前と言えばそうだろうが、
正月に呼ばれて行った姉の家でも一切飲まなかったそうだ。
「たまにはちょっとぐらい酒を飲んで、
気分転換するのも大事ですよ、お父さん」
わたしたちが住むアパートに連れて来たとき診てもらったわたしの主治医にそう言われても、
父は「いや・・・飲みたいという気持ちに全くならんのです、先生。」と言っていたっけ。
 
主治医にそう答えていたのが2012年の12月18日のこと。
翌2013年の正月に姉の家で酒を断わり、
結局2013年の5月下旬に亡くなった父が、
たった一度だけ酒を飲んだことがあった。
 
あれは、2013年1月14日のこと。
12日に夫と二人で実家へ行って掃除したり一緒に食事したりしたのだが、
14日にも夫が一緒に行ってくれたのだった。
もう帰ろうかな、という段になったとき。
いつものように、作って持って行ったお料理の説明をしたり、
買って行った好物の温め方を教えたりしていたのだが、
父が「あのな・・・」と話を切り出した。
「おととい、あんたたちが来てくれた時のことな。
帰ったあと、テーブルの上に旨そうなものがいろいろと並んでるのを見たら、
急に酒が飲みたくなってなあ。
俺、酒、一杯だけ飲んだんだ」
そして、父はその時のことを思い出すかのようにちょっと目をつぶり、
しみじみとした口調で言った。
「いやあ・・・あれは、旨かった~!」
その瞬間、父の周りに明るい光がぱあっと差したようにわたしには見えた。
 
洋の東西を問わず、わたしはこれまでに、
名優と呼ばれる人たちが美味しそうに酒を味わう演技を数え切れないくらい見た。
でも、あの時の、父の表情と声と口調とは、
どんな名優の演技をも凌駕するほどの感動をわたしの心に与えたのだった。
 
結局その時飲んだ酒が、
父にとって生涯最後の一献となってしまった。
 
「お父さん、乾杯」
ハイボールを飲みながら夫は見えない父に献杯する。
父のことだから、ニコニコしながらあの世から夫に返杯してくれてるんじゃないかな。
そんな気がする。