まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

雪を見るたびに

毎年雪のシーズンになるたびに彼を思い出す。
「ぼくって、子供の頃からバカだったんですよね」
優しい笑みを浮かべながら、
寂しそうな口調でそう言った名も知らぬ彼のことを。
 
彼は、息子を連れて通っていた音楽教室でヴォーカルを習っていた。
あまり賢くないお子たちが通う高校の制服を着た彼と知り合いになったのは、
実に意外なきっかけからだった。
当時3歳だった娘に息子のレッスンが終わるまで絵本を読んでやったりしていた時、
「あの・・・ちょっといいですか・・・ぼく、小さな子と遊ぶのが大好きなんです」
と声を掛けてきたのが彼だったのだ。
彼と一緒のクラスでヴォーカルを習っている子たちは髪を染めたり皆派手な格好をして、
向こうの方で大騒ぎしていたというのに、
彼は実に物静かな様子をしていて穏やかな声で話した。
人見知りが激しかった娘が、
彼に「お兄ちゃんが抱っこしてあげる」と言われるとおとなしく抱っこされたので、
わたしはとてもビックリした。
一瞬、「おかしな目的で近づいて来たのでは・・・」と大人のイヤラシサで考えたけれど、
しばらく見ていても彼からは邪な感じが全くしなかった。
彼はひとしきり娘を抱っこして窓から景色を一緒に見たりしたあと、
嬉しそうに「とっても楽しかったです」と言って去って行った。
 
それから、彼は毎回息子のレッスンのたびにやって来た。
そして、娘を膝に乗せ、わたしの隣に座って他愛ないおしゃべりをするようになった。
 
そんなことが続くようになっていた、冬のある日のこと。
外では雪が降り積もっていた。
彼は娘を抱っこして窓から外を見ると、
「ぼくってね、昔っからバカだったんですよ」と唐突に言った。
意味するところが分からず困惑しているわたしの隣に座って、彼はこんな話をしたのだった。
 
ぼくがまだ幼稚園に通ってた時のことです。
送迎バスの発車を待ってた時に、
お庭に積もった雪にお日さまが当たってて。
それがホント、キラキラしててとってもきれいだった。
ぼくは「お母さんにこのきれいなキラキラを持って帰って見せたい」と思って、
幼稚園のバッグに雪をいっぱい詰めて帰りました。
・・・ねっ、バカでしょう?
家に帰ってみたらね、雪はすっかり融けちゃってて、
バッグの中がビチャビチャになってたんです。
そうしたら、ぼくのお母さんが、
「あんたのことは前からバカだと思ってたけど、
本当に救いようがないくらいバカだったんだね!」って言ってぼくのことをものすごく怒ったんです。
仕方がないですよね、雪が融けて水になることも分からなかったんですから。
ホント、ぼくってバカなんです、どうしようもないくらい、バカなんです。
 
あああ・・・とこの話を聞いた途端思った。
子供を育ててると、その子の人生を左右するような大切な瞬間が、
何の前触れもなくやって来ることがある。
彼にとっては、雪を持って帰った時が「その時」だったのだ。
そこで、彼のお母さんが「そうか・・・きれいだったから見せたいと思ってくれたんだね。
融けちゃったのは残念だけど、その優しい気持ちがとっても嬉しい!」
とでも言って彼に笑顔を向けてくれていたなら、
彼はもしかしたら、賢くないお子たちが通う学校以外の学校に行けたかもしれないのだ。
「前からバカだと思っていた」「救いようがないくらいバカ」
大好きな母親からそういう風に言われて優しい気持ちを踏みにじられて、
彼は自分を「バカ」という囲いの中に押し込めてしまうことになってしまったのだろう。
 
お母さんに喜んでもらえる、とワクワクしていた気持ちを踏みにじられた彼の無念さが、
まるで自分のことのように感じられて、
わたしは話を聞きながら危うく泣いてしまうところだった。
 
彼は今どこでどうしているだろうか。
優しい気持ちを持ち続けたまま大人になれただろうか。
毎年雪をみるたびに彼をそんな気持ちで思い出す。