まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

「テッシュ」

認知症になった義父を歯医者へ連れて行ったときのこと。
治療を終えて待合室に来た義父は、
腰を下ろすなり義母に言った。
「テッシュ」。(←原文ママ。田舎の老人なので、こう発音する)
義母は無言でバッグをごそごそやってポケットティッシュを取り出し、
ミシン目の部分を開きながら義父に差し出した。
無言で一組抜き取り鼻をかむと、
義父は無言で使ったティッシュを義母に渡した。
義母は使ってないポケットティッシュの上に鼻水がくっついたティッシュを丸めて入れ、
またバッグをごそごそやってそれをしまい込んだ。
 
見ていて、何とも言えない気持ちになった。
 
昨年の3月5日。
前日受診した総合病院で即入院の必要ありと言われたとうさん。
生まれて初めての入院だった。
5日の朝、約束の時間に間に合うように実家へとうさんを迎えに行くと、
とうさんは全身浮腫で歩くのもままならないほどだったと言うのに、
きちんと着替えてわたしを待っていた。
頼んでおいたタクシーに乗り込み、病院へ。
病室に案内され、持参のパジャマに着替えるよう指示されたとうさんは、
ズボンのポケットから、ティッシュときちんとたたんだハンカチ、
財布を取り出して引き出しに真っ直ぐ納めた。
それからはめていた腕時計を外して、ベッドサイドに置いたのだった。
亡くなったかあさんは、とうさんが身支度する時いつも準備を手伝い、
ティッシュとハンカチを必ず持たせた。
それが50年以上続く間にとうさんにしっかりと習慣として染み込んだのだった。
 
結婚する前のとうさんの写真を見ると、
髪の毛は爆発したみたいになってるわ、
着物はグダグダ着ているわ、
「だらしないな~」という印象だった。
それが、身なりに厳しいかあさんと暮らすうちに別人のようになった。
髪の毛はいつもきちんと切ってもらっていたし、
ひげも毎晩お風呂できれいにそり、
最後の最後まで無精ひげを生やしているところなど見たことがなかった。
例えスーパーに買い物に行くだけであっても、
きちんと洋服を着替え、ズボンのポケットにはティッシュとハンカチを入れた。
洋服も何でもいい、と言う訳ではなくて、着替える前に必ずかあさんに
「おかしくないか?ズボンとシャツはこれで合ってるか?
靴下の色はおかしくないか?」と尋ねるのだった。
(だからとうさんは仲間の先生たちから「ジェントルマン〇〇」と呼ばれていたらしい)
 
もし万が一ティッシュを忘れたとしても、とうさんはかあさんに
ティッシュ」とは言わなかっただろう。
「ありゃ、ティッシュ入れるの忘れて来た。
あんた持ってるの、一枚けね?(=くれないか?」とかあさんに頼み、
「あらあ、何でしょ、入れたかどうだか、きちんと確かめなかったんですか?」
などと言う小言はスルーし、
鼻をかんだら、使ったティッシュはすぐゴミ箱へ捨てに行っただろう。
立ち上がってゴミ箱のところへ行くことすら困難だったとしたら、
自分のズボンのポケットにしまい、家に帰ってから捨てたことだろう。
どんなことがあっても、自分の鼻水がくっついたティッシュを、
無言でかあさんに渡す、なんてことは絶対にしない人だった。
 
中学生でもあるまいし、スポーツブランドのTシャツにジャージの短パン、
はだしにサンダル履きで無精ひげをぼうぼう生やした義父を見ながら、
急にとうさんとかあさんが懐かしくてたまらなくなってしまったのだった。