まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

年を取っても男のプライドってやつは・・・。

前の記事にコメントをくださった、matu8さんのブログに行ってみた。
102歳になる、Qちゃんというおばあちゃんとの日常が、
楽しくほのぼのと綴られていた。
 
いろいろなところへ出かけるQちゃん。
東日本大震災で被害が大きかった名取市閖上(甥っ子の親友のお母さんと妹が
津波にさらわれた現場)やら、
お住まいのある神奈川県内のいろいろなイベントやらへ。
すっかり腰も曲がっているのに車いすにも乗らず、
Qちゃんは元気いっぱいお出かけして、目をキラキラさせながら楽しんでおられるのだ。
 
「へえ、すごいなあ!」と思う一方で、
「Qちゃんが男性だったらどうだろうか?」と思ってしまうわたしもいる。
 
男の人には、死ぬまでプライドというやつがくっついて離れないようだ。
(前述のQちゃんは「負けん気」は非常に強いおばあちゃんのようだが、
「負けん気」≠プライド、だとわたしは思っている)
プライドのせいで、他人とも打ち解けられないし、
認知症にでもなっていると「知っている人にこんな姿を見せられない」と、
外出することもままならなくなってしまう。
人の名前や顔が分からなくなっていたとしたって、
「すいません、年のせいかもの覚えが悪くなっちゃって。
どちらさんでしたかねえ?」と聞いてしまえばそれまでなのだが、
プライドが邪魔をしてそういうことを言えなくさせる。
所謂「構ってちゃん」(義父はいい歳をして、まさにこれだ!)なのなら、
「一人にされると不安だし寂しいんだよ。
あんまり家を空けないでくれ」と言えばいいだけなのに、
プライドが言わせる言葉はこうなってしまう。
「お前はいつもいつもくだらないことで家を空けてばかりいて!
主婦の自覚ってもんがないのか、お前には!」
 
男の人、と言っても、所詮は「ヒトのオス」だからね。
ライオンのオスと同じで、どんなに年を取っても
たてがみを振り立てて生きて行きたいものなんだろうな。
たとえ、そのたてがみが、他人からしたらボロボロでみすぼらしくなってしまってるとしてもね。