まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

親不孝者

いつも夜に爪を切っていたからだろうか。
ふた親の死に目に遭えなかった。
 
入浴中の心不全で亡くなったかあさんは仕方がないとしても、
とうさんの死に目にも遭えなかったなんて。
 
「おとうさまがいつ亡くなるか、それは誰にも分かりません。
1週間後かもしれない、1ヵ月後かもしれない、
1年後かもしれないし、もしかしたらもっと経ってからかも知れません」。
亡くなる前日の午前中、主治医さえそんな風に言ってたというのに。
 
あの日の朝。
午後1時からの面会時間に間に合うように出かけるつもりだったのに、
携帯が鳴ってしまった。
友達がいないわたしにとって、携帯が鳴る=急を知らせること、だというのに。
ねえさんからの電話だった。
「おとうがね・・・もう心臓がだいぶ弱っちゃってて・・・危ないって・・・」
泣きながら、切れ切れの言葉。
「分かった。すぐ用意して病院へ向かうから。」
 
こんなに早く「そのとき」が来るなんて・・・。
確かに、前日の夜誰もいない家の中で、誰かが部屋を何度かのぞいてるような気配がしたさ。
それから、今までは「父の意識が戻りますように」と寝る前に祈っていたけど、
前の晩は「父が恐怖や不安を覚えることなく、心安らかに旅立つことが出来ますように。
わたしの心からの感謝の気持ちが父に伝わりますように。」と全身全霊をかけて祈ったさ。
でも、いくらなんでも、こんなに早くなんて・・・。
 
出来る限り急いで身支度して、高速バスを待つ列に並んでたときだった。
またしても、携帯が鳴った。
ねえさんからだった。
「あのね・・・おとうさん・・・逝っちゃった・・・。
わたしたちも急いだんだけど・・・間に合わなくって・・・」。
 
ああ、そうか、と思った。
とうさんは、わたしたちを悲しませたくなかったんだな。
泣いて取りすがるわたしたちを見ながらあの世に行くのは忍びなかったんだな。
だからこそ、前の晩のうちに、わたしにお別れを言いに来たんだろう。
 
五月晴れの青空が美しい朝のことだった。
こうしてわたしは、ふた親の最期を、
仙台とこの町とを結ぶ高速バスを待ちながら聞くことになってしまったのだった。