まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

面会謝絶

わたしの心にとげのように刺さっていることがある。
 
大学の頃、わたしはボランティアのサークルに入っていた。
入院して勉強が遅れてしまってる子供たちに勉強を教えたり、
一緒に遊んだりするサークル。
いつもは命に関わるような病気じゃない子達のところへ行っていた1年生のわたしが、
あるとき、先輩と二人で大学病院の小児病棟へ行かなくてはならなくなった。
その日、先輩とわたしが二人で担当することになったのは、
中学生の女の子だった。
その子の部屋へ行って、わたしたちは自己紹介をした。
そして、先輩が「これなんかどう?楽しいからやってみない?」と取り出したのは、
中学生向けのクイズの本だった。
すると、その子が言った。
「あのねえ、あたし、もうじき死ぬのよ。
なにが悲しくて、こんな時にクイズなんかしなくちゃならないのよ。」
わたしはハッとした。
でも、先輩は無理矢理笑顔を作りながら、
「クイズ、楽しいよお。やろうよ。ねっ、ねっ、ねっ?」
白けたようなその子の前で、わたしと先輩だけがクイズで盛り上がったフリをした。
帰り道、先輩が言った。
「ああいう子って、参っちゃうよね。気にしないで。」
でも、わたしの心の中では、その子が言った
「あたし、もうじき死ぬのよ。」という言葉が、ずーっとずーっとエンドレスで繰り返されていた。
次の週、わたしと先輩は同じ病棟へ行った。
あの子の部屋には「面会謝絶」の札が掛けられていた。
 
あの子は本当に亡くなったのだろうか。
そうだとしたら、わたしたちは、貴重なあの子の時間を、
くだらないクイズなんかして浪費してしまったことになる。
「死にたくないよ。」あの子はそう言いたかったのではないか。
わたしたちよりさらに年若い自分が、
間もなく死ななければならないという過酷な運命を受け止められず、
心の中で悶え苦しんでいたのではないだろうか。
わたしたちはあの子に何をしてあげるべきだったのだろう。
または、何をすべきでなかったのだろう。
わたしはずっと考え続けていた。
そして、ボランティアサークル自体を抜けてしまったのだった。
 
あの頃のわたしに、あの子の苦悩や悲しみを受け止められたかと言えば、
きっと無理だっただろうとは思う。
でも、何か出来ることはあったはずだ、
一体それは何だったのだろう・・・。
何十年も経った今も、あの子の言葉はわたしの心に刺さったままだ。