まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

空を見る

わたしのかあさんが亡くなった。
入浴中の心臓発作で、苦しむこともなく、突然に。
 
信じられないくらい安らかな死に顔をしたかあさんに、
お気に入りだったブラウススーツを着せた。
納棺師の女性にきれいにお化粧してもらって、
とうさんが奮発した、素敵な布張りの真っ白い棺に横たわったかあさんは、
まるで白雪姫のようだった。
 
とうさんは嘆き悲しみ、かあさんを再び目覚めさせてくれるようにと、
あらゆる神仏に心からの祈りを捧げたけれど、
かあさんは生き返ることはなかった。
別れを惜しみ、涙を流すとうさんの目の前で、
かあさんは真っ白な骨になってしまった。
 
・・・かあさん。
どうして、こんなに急に逝ってしまったの?
とうさんをこんなに悲しませて、ひどいじゃない。
少しくらい、予告してくれたって良かったのに。
みんな、びっくりして、悲しくって、気持ちの整理がつけられずに困ってるのよ。
とうさんなんか、かあさんが亡くなった日から、ずっと寝られずにいるんだから。
とうさんはもう82歳だし、あのままじゃ、すぐ病気になっちゃう。
何とかしなくちゃ、とは思うんだけれど、かあさん以外の人にはどうにも出来ないの。
かあさん、ねえ、一体わたし、とうさんに何をしてあげたらいいの?
とうさんを元気にさせたい、とは思うけど、
わたし自身、かあさんが亡くなってからどうかしちゃったみたいで、全然元気が出せないの。
かあさんが亡くなるまでは、素敵だったり、愉快だったりした世界が、
急に色あせたモノクロの世界に変わってしまったみたい。
一体どうやって笑ってたんだか、思い出すことも出来ないや。
ねえ、かあさん、近くで聞いてるんでしょ?
かあさんってば・・・。
 
ふと気付くと空を見ている。
灰色の雲がちの空に、ほんのちょっとだけのぞいた青空の部分、
そこにかあさんがいるような気がして、
わたしは空を見る。