まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

大好きな詩~上田敏訳詩集「海潮音」より~

わたしが住んでいる片田舎は、もう晩秋の気配を漂わせている。
美しく色づいた木々の葉もひと雨ごとに鮮やかさを失い、
遠くの山々は完全にモノクロと化してしまった。
風にはらはらと紅葉が舞い落ちる。
その様子を見るたびに、心に浮かぶ詩がある。
 
                       秋           オイゲン・クロアサン作
          けふつくづくと眺むれば、
          悲(かなしみ)の色(いろ)口にあり。
          たれもつらくはあたらぬを、
          なぜに心の悲める。
 
          秋風わたる青木立(あおこだち)
          葉なみふるひて地にしきぬ。
          きみが心のわかき夢
          秋の葉となり落ちにけむ。
 
・・・なんて美しいのだろう、なんて哀しいのだろう。
はらはらと舞い落ちてくる秋の葉は、破れた夢のなれの果て。
色あせ、雨に打たれ、人々に踏まれて・・・。
やがて純白の雪に覆われて見えなくなってしまう・・・。
 
なんだか悲しくなっちゃった。
秋は洋の東西を問わず、もの悲しい気持ちにさせられる季節なんだね。
海潮音」は本当に美しい日本語で編まれた、繊細なレース編みのような詩集。
せっかくなので、もう一つわたしのお気に入りを。
              
                燕の歌(冒頭部分のみ)         ガブリエレ・ダンヌンチオ作   
           弥生(やよい)ついたち、はつ燕(つばめ)、
           海のあなたの静けき国の、
           便(たより)もてきぬ、うれしき文(ふみ)を。
           春のはつ花(はな)、にほひを尋(と)むる
           あゝ、よろこびのつばくらめ。
           黒と白との染分縞(そめわけじま)は、
           春の心の舞姿(まいすがた)。           
 
どうしてわたしがこの詩が大好きかというと、わたしたちの初めての子どもが
「弥生ついたち」生まれだったから!
なかなか子どもが授からずにいたある日、電線につばめが並んで止まってるのを見て、
「つばめみたいに賢くてはしっこい子どもが欲しい」と思ったわたしは、
それから間もなくお腹に命が宿ったことを知ったのだった。
そんないきさつで、以前から好きだったこの詩が、
子どもの誕生を機にもっともっと大好きになったというわけ。
 
上田敏訳詩集「海潮音」は、新潮文庫から出ています。
 さっきamazonで調べたら、すごく素敵な海の写真の表紙が付いた新版になってました。