まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

面子を守って死ぬこと、無様に生き抜くこと~山形県鶴岡市松ヶ岡~

薄桜記」を見て、「面子を守って死ぬこと」の身勝手さを思った。
そして、何年か前に行った山形県鶴岡市の松ヶ岡というところのことを思い出した。
 
江戸時代鶴岡には鶴岡藩の城があった。
藤沢周平の時代小説のモデルになった場所だ。)
維新の際最後まで幕府側に付いて戦ったため、
鶴岡城は壊されることになった。
職を失い、新政府の敵として遇されることになった旧鶴岡藩士たちは、
城から遠く離れた松ヶ岡の地を開墾して養蚕を始めることにしたが、
その際城の瓦を背負って運び、養蚕用の建物の屋根に用いた。
「刀を鍬や鋤に持ち替えて」慣れない開墾や養蚕に当たった旧藩士たちの苦労は筆舌に尽くし難かった。
彼らは厳しい規則を定め、逃亡したものには厳しい罰則を与えるなどしながら、
ほんの数年で養蚕を軌道に乗せ、旧藩士たちの生活を立て直すことに成功したのである。
松ヶ岡には今も旧藩士たちの子孫が住み、
特産の柿などを生産しながら暮らしている。
(松ヶ岡の柿は東京の料亭などで出される高級品として有名なのだそうだ。)
そして、鶴岡城の瓦をいただいた建物は、
そのままの姿で5棟が現存しているのである。
 
面子を守る、という意味で言えば、城の庭で一斉に切腹すれば格好いいだろう。
そして、沢山の旧藩士たちが切腹して果て、新政府へ無言の抗議をした、
という方が人々の記憶には残るのかも知れない。
しかし、彼らは無様に生き抜くことを選んだ。
松ヶ岡は整然と開墾され、彼らが建てた立派な建物が青空に映える美しい場所になっていた。
藩主の紋が入った瓦屋根を眺めながら、わたしは彼らの心中を思った。
全てを失い、百姓仕事に従事しながら、彼らの心の中は屈辱感で一杯であったかもしれない。
しかし、一方でそんな不遇に負けまいとする心意気、
新政府による不条理な扱いを自分たちの力で引っくり返そうという気持ちが、
彼らを前へ前へと進ませていったのだろう。
一斉に揃いの裃を着けて切腹して果てることと、
手を豆だらけにし、日に焼けて泥だらけになって生き抜くことと。
一体どちらが本当に格好いいことだろうか。
一体どちらが本当の「強さ」を必要とすることだろうか。
 
わたしは丹下典膳より、松ヶ岡の方が好きだ。