まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

男のプライドが皆を不幸にする~「薄桜記」を見終えて

BS時代劇「薄桜記」を見終えた。
夫はものすごく感激したようで、特に最後の2話分は
涙目で何度も洟をかみながらみていた。
でも、わたしは最後の2話分を見ているうちにすごく腹が立ってならなくなった。
最終回を見終えたときには、もう心中プンスカプンであった。
 
だって・・・男って、身勝手だ!
「もし死んだとしても千春(妻の名)の心の中で生き続ける」
とかなんとか言って格好付けて、
自分は「死に場所があった」と知己に殺されに行く。
結局千春は殺された夫の刀を使って自刃。
(カゴに入れて飼ってた文鳥を雪の降る夜に放したのだって身勝手だ。
鳥を飼ってる身で言わせてもらうと、
あんなことされたら文鳥は即死ぬしかないよ!
「死を覚悟して飼ってた鳥を自由の身にしてやった」と言いたいのだろうけど、
丹下典膳、おぬしの考えはいちいち甘いし身勝手だ。
千春のことも、飼ってる鳥のことも、何一つ分かっちゃいないと思う。)
 
第一、わたしは赤穂浪士の討ち入りの話も大嫌いだ。
・・・あれで誰か幸せになっただろうか?
何百年も人々に語り継がれた?
それがそんなに大事なことだろうか?
吉良の側から言えば、完全に「言いがかり」じゃないか。
面子を保った、殿の無念を晴らした、とかいろいろ言ったって、
後には死体の山だからね。
人々が赤穂浪士の討ち入りの話のどこに感動するのか、
わたしには全く理解できない。
あれだけのエネルギーがあるんなら、
それをもっと生きるために使えば良かったんじゃない?と思う。
第一残された家族は?
自分たちは「男子の本懐を遂げた」とかなんとか言って満足しちゃって、
あとは切腹すればいいだけだけど、
残された家族の暮らしはどうなったのだろうか。
歴史の華々しい表舞台には決して出てこないけれど、
赤穂浪士の妻たちはきっとものすごい苦労をしたのではないかと思う。
 
どんな状況になっても必死で生きていくしかない女の側で言わせてもらうと、
男って、本当に自己中心的で身勝手だよなあ。
それを「男には守るべきプライドがある」みたいに格好付けられたって、
「身勝手には変わりないよ。」としか思えない。
そんな訳で「薄桜記」はわたしは残念ながら楽しめなかったのだった。
山本耕史は格好良かったし、
柴本幸はあんまり美人ではなかったものの着物を着ての所作が非常に美しくて良かったし、
脚本も美術も音楽も非常に良かったけれど・・・残念。